コンフォートゾーンから出てみる

こんにちは。

名著の一説w

 先日出版した拙著の154ページに、「3年経ったらコンフォートゾーンと考える」という項があります。

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

本当は大切なのに誰も教えてくれないVUCA時代の仕事のキホン

 

3年同じ仕事をしてしまったら、ある程度流れでできるようになり、新しい刺激や発見が少なくなって、成長スピードが落ちます。

で、遅くなりすぎた結果、老害になったり、そこから出たらもうどうにもならない体になってしまったり。

だからちゃんと成長するためには、あえてコンフォートゾーンから出て、以下の写真の図にあるようにストレッチゾーンに身を置くことが重要です。

…と言うことを解いた項です。

f:id:eitarokono:20190616181441j:image

ただ、これは「言うは易し、行うは難し」の世界です。

まず、自分がコンフォートゾーンにいることに、なかなか気づけません。

同じことをやっていてもやっぱり忙しいし。日々問題は発生するし。 短期的には価値を出しているように見える、と言うか事実、かなり価値を出しているため、人に頼られたりすることも増えて、これがなかなか難しいのです。

 さらに、仮に自分がコンフォートゾーンにいるな、と気づいたとしても、現在の場所を捨てて外に一歩踏み出すのは、本当に難しいです。

いろんな人に褒められるし、次のポジションも見えてきたりして、打算的にも直近はそこにいるほうがどうやら実入りも良いのは確実。

一歩出てしまうと、過去培ったものは一旦リセットされ、多くの部分を新たに始めなければなりません。

勇気がいることですよね。

周りだって心配します。

ですから3年経ったら動き出すのではなく、始めから3年後を想定した動きを取っていることが望ましいでしょう。

ネットワークを広げるとか、学習を開始するとか、資格取得や仕組み構築を前もって少しづつでもやっていると、「その時」が来た時のハードルが下がるわけです。

この準備がないと、先ほどの図のストレッチゾーンを超えたパニックゾーンに行ってしまい、ひっちゃきになって動かないといけなくなります。

そうするとコンフォートゾーンとのギャップがあまりに激しくなり、文字通りパニックになってパフォーマンスを出すどころじゃなくなりますので、注意が必要です。

新しい世界の刺激

で、なんで今こんなことを思ったかと言うと、最近新しい環境に身を置くようになって、毎日が充実しています。(まあ、当たり前ですが)

新しいネットワークもどんどん広がる中、SNSのタイムラインに流れてくる情報の内容がだいぶ変わってきたなあ、と感じる瞬間が増えています。

年齢問わず尊敬できる人との出会いも多々ありました。

新しい情報が加わると言うことは、視野が広がり、視点も高まる可能性が増える、ということだと思います。

新しい発見も増えて、刺激も増えています。(ちなみに、上がったとか増えたとか広がったとかばかりですが、ネットワークの平均年齢はかなり下がった!)

具体的には、タイムラインに流れてくる情報は今まではおじさんネタとか、社会問題、人事系の話題が中心でした。

それもいまだに流れてきますが、機械学習とかスタートアップ、ベンチャーキャピタルなどのネタ今まで以上に流れてくるようになったな、と言う印象です。

(まあ、これも当たり前ですが)

この歳にして、こんな”血湧き肉躍る”系の感覚を持てるのは幸せなことです。今回のは、何十年か忘れてた感覚なので、どうなるか楽しみです。 (すぐ慣れちゃうのかなぁ)

ただ、すごく楽しくて充実しているとはいえ、ラクしているかと言うとそういう訳ではありません。

やっぱり、新しいことをやるには時間はかけなければいけないし、その意味では睡眠不足になり体力も必要。今回は独立であることもあり気苦労も絶えません。

なのではしゃぎたい気持ちを抑え、調子に乗りすぎず、無理しながらも、しすぎたりはせず、やりくりはしています。

何しろ体だけは古くなっているのでそっちが一番メンテナンス必要ですね。

と言うことで、責任は取れないものの、コンフォートゾーンから出ることは全ての皆様におすすめします。

皆さんはどうお感じになりますか?

大組織を外から見て

こんにちは。

大企業からスタートアップに移り、外から大企業を見るようになって気づくことがあります。

細かいとこまで含めるといくつかあるんですが、その中でも大きいのをひとつ。

具体的には、看板で仕事をする人と、そういうものを背負わずにピュアに仕事をしている人がいることに改めて認識しました。(これ、自戒を込めつつね。ってか、わかってたことですけど。)

大企業の看板ってやっぱりそれなりの迫力があります。

意識して笠に着るわけではないのでしょうが、どうしてもそうなってくるんでしょうね。

名刺交換した後、いわゆる格下と認識すると言葉遣いも含めだいぶ変わってくる例もあります。

アポイントを取って訪問しても、場合によっては散々待たされた挙句、応接エリアに通してもらえもせず、「場所取れなかったんで」と受付脇の椅子で対応いただく感じです。

用件を伝えた上で訪問したにも関わらず、そんなニーズは無い、と言われることも。業者なんだから無駄足は当然、なんですかね。

まあ、アポイントをとるときにもっと詰めればいいんでしょうが。

少なくとも大企業の看板があった時はそういう扱いは無いわけです。

ですので、もちろん僕の方も色々今までの感覚を捨てて、新しい形でのアプローチを取るようにはしています。

個人的にはむしろ新しい刺激として楽しむようにしてます。が限られた時間で成果を出さねばならないので乗り越えなければなりません。

目的はお客さんの”本来の”成功のために製品やサービスを役に立ててもらうことですからね。

まあ、いろいろ気づきは多いです。

一方で、世界に冠たるエクセレントカンパニーや、国を動かすような立場の方でも(だからこそ⁈)、自分の立場に驕ることなく、そして相手の肩書きだけを見るのではなく、言ってる内容やサービスの価値をシンプルに見て判断している人もおられます。

そういう方にお会いすると、改めて、その慧眼や姿勢に感服させられます。

そんなことを考えている内に、こんな記事がタイムラインに目に流れてきました。

diamond.jp

いかがでしょう?年齢に限らず伝わるものありますよね。

自分も、一歩踏み間違えればいつでもこうなり得るなあ、と思います。

大企業なりの苦労がわかるだけに。

事実、こういう人たちは、企業の看板を頼って意図的にサボってきたのかというと、そういうわけではありません。

むしろこれまで、色んなものを犠牲にして必死に組織の中で働いてきた人たちなわけです。

少しでも早い段階で、本人が気付きを得るきっかけがあれば良いのですけどね。

皆さんはどう思われますか?

f:id:eitarokono:20190609203826j:image

f:id:eitarokono:20190609203837j:image

これからについて 〜人と組織を支援する仕事を深めます〜

こんにちは。

やりたいことを色々やる

前回は、このタイミングでIBMを離れることをご報告しました。

日頃考えていたことを整理して、IBMの良さを振り返る貴重な機会でした。

eitarokono.hatenablog.com

さて、今後ですが、時間をかけて準備してきたことを具体的に実行します。

大きくは、2つです。

①スタートアップに深く関与します。

②自分の会社を使った活動を本格化します。

①スタートアップに深く関与します。

どちらも、自分が目指す”ホワイトカラーの生産性向上に貢献する”というキャリア目標に合致していて、やりがいを感じられる仕事という観点で決めました。

①スタートアップに深く関与します。

まず、①について。

具体的な社名については、近いうちに会社から発表する形になると思います。改めてその時にお知らせします。

決める過程でも、多くの素晴らしい出会いがあり、その度ごとに学ぶところが大きかったのが想定外の収穫でした。

45歳という年齢になっても、動いてみれば世の中には本当に様々な機会に溢れているのだと改めて実感しました。

もし迷っている人がいたら、境界線を自分で作らないで、まずは越境してみてはいかがでしょうか。

で、のぞいてみた結果、戻るもよし、進むもよし。

たとえ戻ったとしても迷いを断ち切った上での決断なので、取り組み方も視野や視点も大きく異なったものになるでしょう。

少なくとも何もしないで悶々としていても次のステップには行きませんよね。

全ての機会が本当に魅力的に見えたのですが、その中でも特に、自分の時間を投じたいと思った縁に対して本気で関与することに決めました。

製品・サービスも、経営者も、共に働くメンバーも、投資家も僕にとっては贅沢なほど素晴らしいと感じています。

②自分の会社を使った活動を本格化します。

表立って活動します、といっても良いかもしれません。

もともとIBMの承認を得て、法人:株式会社Eight Arrowsを立ち上げて、IBM以外の仕事を一本に集約していたのですが、こちらの仕事を継続します。

www.eight-arrows.com

もちろん、①のスタートアップの仕事を100%という選択肢もあるとは思うのですが、自分にとって両方やることの方が自然な気がしたのと、両方やることでどちらにも相乗効果があるという確信があったのです。

ですので、関係各所の理解を得つつ、大変かもしれませんがこのような形を選択しました。

具体的には、出版活動や講演・研修活動、グロービスへの登壇は従来通り続けていきます。

また、IBMを離れますので、従来は利益相反の可能性があったような領域も担当できるようになりました。

法人の組織をお客様として、人材開発や組織開発の支援を様々な形で実行していきます。

ちなみに、これまでのキャリアの中で、「コンサルタント」という名刺を持つことは多かったのですが、社会に出た時から「経営のコンサルタント」とは、「社長から直接相談される人」という定義が自分の中であったため、会社の看板で仕事をしているうちは、極力その肩書きを使わないようにしてきました。

コンサルティング会社”に入っただけで「コンサル」という肩書きを前面に出す人が増えたことによって、世間に出来上がってしまったマイナスイメージがあったことも理由の一つです。(あくまでも僕の価値観ですけど。)

なので、例えば資料の中で僕の肩書きとして使われた時は修正しましたし、プロフィールにも使わなければいけない時以外は一切使いませんでした。

ある人の携帯の電話帳に「コンサル河野さん」と登録してあったものを、変えてください、とお願いして変更してもらったことさえあります。

ただ、最近実際に社長や経営者から直接相談を受けることが増え始めたため、その言葉に対する拒否反応が消え始めました。いずれ堂々と使える時が来るのかもしれません。

そのような経緯から、コンサルティング”的”な仕事もどんどんやっていきます。

人事部門を支援するソフトウェアカンパニーとも代理店契約したり、複数のコンサルティング会社と提携をして、規模の小ささを補っていきます。

他にも、以前この場でも紹介しましたが、有志とイベントなどを開催して世の中にメッセージを発信していければとも思っています。

eitarokono.hatenablog.com

こちらはまだビジネスとしての建て付けが十分ではないですが、焦らず継続していけたらと思います。こちらはこちらで楽しみです。

Building Bridges to the Better!

我が株式会社Eight Arrowsのスローガンは”Building Bridges to the Better”です。

今まで僕が四半世紀以上に渡って培ってきたネットワークや多領域にわたる経験を、社会に還元していきます。

と同時にその活動を通じて、さらに高いレベルでイノベーションを起こしていきたいと考えています。

是非、アイデアやお困りごとがありましたら、お声がけください。何らかお役に立てることがあるのではないかと思っています。

ご用命はこちらのサイトまで!

河野英太郎が代表を務める株式会社Eight Arrows' Site

これらの活動は、すでに大半は動き始めているのですが、正直いうと時間や体力的にはとんでもない負荷です。

ですが、気持ちは、あまりにも爽やかな感じです。

皆様には、引き続きのご縁を賜れますよう、お願い申し上げます。

f:id:eitarokono:20190519182729j:image

IBMのよいところ

こんにちは。

IBMの素晴らしさについて考える

ここらでちょっとIBMのよいところについて整理したくなったので、改めて考えてみました。

ちなみに、毎週書いているこのブログ、日曜日の夜から月曜日の朝にかけて書くことが多いのですが、日曜日の午後、プールで泳いでいる時に内容について考えることが大半です。今回も25Mプールを往復しながら考えました。

IBMには都合15年以上所属しているので、色々素晴らしい経験もしましたし、悔しかったり腹が立ったりすることも多かったのですが、これはどこにいたって同じこと。

ただ、その経験を通じて本当に様々なことを学びました。レベルもまちまちですが、IBMのその特徴は、さっと整理すると大きく3つほど考えられると思います。

①教科書通りの組織運営

文民統制

③(Valueのもとに集った)人

ーーーーーーーーーーー

①教科書通りの組織運営

IBMは100年以上続く老舗企業です。そして、IT産業というめまぐるしく変わる業界の中で、このポジションを継続している数少ない、というか唯一の企業だと言えます。

IBMの歴史=業界の歴史と言っても大きくは間違っていないと思います。

以前、年代ごとのIBMのライバルを整理したことがあるのですが、20年遡ると、もう存在すらしていない会社がほとんどです。

もしかしたら20年後、今のライバルたちも存在していないのかもしれません。(もちろん断言できませんけどね!)

この長生きの原点ともなる要素が、教科書通りの組織運営だと思うのです。

ただし、教科書を見て「あ、知ってる知ってる」というレベルではありません。とことん追求して実行するのです。そここそが差別化要素だったりします。

だから、片や先進の経営情報を仕入れておく。そしてもう一方でIBMの内部で落ちてくる指示や依頼、情報をみる。

そうすると、会社の意思が何で、どの理論に基づいて、何を目指しているかがはっきりわかるのです。

何度も何度も、何度もその経験をしました。

ですから、ほんのたまに、意味を全く理解せずに会社の指示だけおうむ返しのように伝達してくる管理職がいたのですが、そういう人に対して、意味を説明してあげることもできます。間違った指示も訂正してあげることができるのです。

このようにIBMは組織腐敗を防いでいるのだな、ということがよくわかりました。

よくIBMについてお話しする時、僕はIBMをローマ(帝国)と被るという言い方をします。

飛び道具を連発するわけではないけれど、やるべきことを早い段階からやりきっている組織であり、それでいて常に変化を厭わない組織である、という意味です。

目標管理制度とそれに基づく業績評価が世に流行れば、100%の実施率にこだわってやりますし、No Ratingが動き出したら手のひらを返すようにいち早くNo Ratingを導入します。営業の管理ツールを導入したら、とことん使い倒します。まるで、重装歩兵を整理し使い倒したり、それが動くためのローマ街道を整理したり。ローマ帝国の行動と酷似しています。

今日本社会で定着化しつつあるダイバーシティの考え方も20世紀の頃から本気で取り組んでいます。属州や奴隷階級から皇帝を出し続けたローマ帝国にも同じような考え方があります。

そういうシステムを守りながら、王政→元老院制→帝政などと変化をし続け、最後は敵視していたキリスト教まで取り入れてしまうという柔軟性を見せたのがローマ。

IBMもレジや肉屋のはかりのような“ビジネスマシーン”の生産販売から始まり、パンチカードで情報を扱うようになってから、コンピュータの生産、システム開発、プロセスの引き受け、そしてAIまで、どんどん変化を続けています。

飛び道具を狙って足元がおろそかになることの無いように、常に基本だけは100%に近いレベルでやりきる経営が結局はイノベーションを生み出し、より長く、強く生きる前提である、ということを学びました。

この考え方は僕のDNAに染み込んでいて、今でも武器としてかなりのレベルで通用するな、と思っています。

文民統制

二つ目は、文民統制です。ここでのこの言葉の使い方は僕の考え出したものなのですが、技術者優位の組織運営のことをさしています。

対義語は軍政ですかね。

軍政までは行かないまでも戦前の日本は軍部大臣現役武官制というのをひいていたようで軍部が暴走し、国が方向を過ったということになっています。

これと同じで、テクノロジーカンパニーが暴走する瞬間があります。

それは、技術者がないがしろにされた瞬間です。もっとわかりやすく言えば、営業出身者(軍部的な人)が技術者(文民的な人)の言うことを聞かないときに、組織は誤った方向に進みます。

例えば、できもしないプロジェクトプランを作って、クライアントから案件を受注してしまうような事態です。

いわゆるトラブルプロジェクトが生成される瞬間ですね。

もちろん、営業機能は必要です。しかし自分たちの活動は技術があって初めて成立するのだと言うことを忘れてはいけません。

IBMは、技術者を厚遇する制度を伝統的に維持していますし、コミュニティ活動を重視する文化も努力をして堅持しています。

技術マインドを持った営業担当も多く、営業マインドを持った技術者もそれぞれの場で研鑽し続けています。

IBMは営業の会社だ」と言う言葉を耳にすることは、多々ありましたが、そう言うことを言う人は信頼を得られていませんでした。まあ、組織を維持しているカルチャーに反しているわけですから当然ですけどね。

この文民統制も、IBMの強さの秘密です。

③(Valueのもとに集った)人

以前、GlobisでIBMを特集した4回連続の講義に講師として関わった時、「IBMにい続ける理由は何か?」と受講生に問われました。

その時に僕は「IBMにいる、人と技術だ」と答えました。

どの組織にも当てはまりますが、組織というのは人が全てです。今の所、人がいない組織はありません。

ただ、烏合の衆と強い組織の違いは、Valueを全員が共有しているかどうか、です。

IBMには共通の価値観があり、その歴史上一度だけ見直されたことがありますが、綿々と受け継がれています。

「お客様の成功」「イノベーション」を「信頼と責任」のもとに実現する集団です。

ちなみにValue の見直しの過程はDHBRにも掲載されましたし、そのことをダイヤモンドオンラインでもお話ししたことがあります。

www.dhbr.net

ありがちな「Valueなんて建前だ。数字が全てだ。」的な発言をする者が皆無とは言いません。

ただ、僕はそういう輩はIBMの人間として認めてこなかったので、ある意味、IBMのメンバーの範囲でいうと皆無かもしれませんが。

このValueの体現のために15年を使ってきた自負はあります。

 感謝

そんな思いから、今ではIBMに対して、感謝の気持ちしかありません。本当にありがとう、という気持ちです。

当然の事ながら、先に書いたように辛いことや腹の立つことはありましたが、それ以上に学んだことは多いです。

そして、これからも感謝し続けますし、応援もしていきたいと思います。

いみじくもIBM日本法人も日本人従業員の念願である”大政奉還”が成りました。(あ、これも僕の個人の言葉です。悪しからず)
japan.zdnet.com

山口さんについては、僕もお名前は出していないものの書籍の中で本人承諾のもと良い例としてなんどもコメントさせていただいており、その意味でも感謝です。

今後の日本IBMには期待ですね。

5月31日で二度目のIBM生活を終えます。森昌子さん風に言えば「三度目はありませんw」

が、巨人軍の監督は三度目ですしね。VUCA時代ですから何が起こるかはわかりませんが、今は森昌子さんと同じ心境です。

今後の身の振り方については、改めて近いうちに報告させていただきます。

そちらについても、是非よろしくお願いいたします。

Once an IBMer, always IBMer!

ありがとうございました。

f:id:eitarokono:20190512222259j:image

Bridge to the Better 第一弾イベント開催!しかもデンマーク大使館後援

こんにちは。

BB2B初回イベント開催!

以前こちらでもキックオフの様子をお知らせしたのですが、

eitarokono.hatenablog.com

 

有志発起人5人と共に立ち上げた”越境”をテーマにしたコミュニティ、”Bridge to the Better”の初回イベントの参加者募集が始まりました!(応募はこちら↓)

bb2b-1.peatix.com

大手町で3×3 Lob Futureを運営するエコッツェリア協会の協力をいただき、同会場にて5月31日夜に開催します。 

題材はデンマーク

今回は、労働生産性が我らが日本より圧倒的に高く(OECD加盟国内5位。日本は20位!)、そして人口たった570万人しかいないにもかかわらず、世界でもプレゼンスを発揮しているデンマーク🇩🇰を題材にします。

一人当たりGDPも日本よりも50%近く高いのですが、何と言っても幸福度ランキングも2位だったり1位だったりするのです。とはいえ、若者ばかりで元気のいい国かというとそういうわけではなく、高齢化率(65歳以上の人口比率)は日本がダントツ1位の27%ですがデンマークも19%と、いわゆる先進国の範囲です。

そんなデンマークは昨今、書籍や報道などで日本社会の参考になるかもしれない国としてベンチマークの対象になることが増えてきました。

ですのでこの国を題材に、私たちの働き方、学校教育、リカレント教育、ヒュッゲ、福祉、キャリア、恋愛、SDGs などについての学びを深めていきます。

このコンセプトに対してデンマーク大使館より後援をいただきました。

当日は、デンマーク大使館より公使参事官のマーチン・ミケルソンさんと、デンマークに在住されているジャーナリスト、ニールセン北村朋子さんに登壇いただき、考えるきっかけを作りたいと思います。

是非参加ください。お待ちしてます!

なお、私たちが目指す状態はこんな状態です。

成長したい”はたらく人”全員が対象となりますので、遠慮せず是非”越境”してみてください。

今後に向けたアイデアも引き続き募集中です。

f:id:eitarokono:20190424162133p:plain

 

平成泳ぎ納めに思う

こんにちは。

平成30年間続いたことと言えば・・・

あと40時間くらいで平成が終わる、というタイミングでこれを書いています。

ちょっと前、平成の泳ぎ納めをしてきました。

プールを往復しながら、なんとなく自分自身の平成30年間のBefore Afterを考えていました。

昭和64年のタイミングでは15歳の中学生だったので、体重とか体脂肪率とかで比較するとあまり意味のないことになるなー、なんて考えていた時に、「じゃあ、平成30年間続いたものって何だろう?」という問いに至りました。

シンプルに出てきたのが、僕にとってはやはり「泳ぐこと」でした。

平成30年間で、住んでる場所は岐阜の実家や東京都内、あと二度ほど中期の外国滞在を含めちょうど10箇所になります。

主な所属組織は、中学から始まり大学、会社・・・転職とか同時並行とか出戻り、買収、起業・・・まあたくさんです。

その間、良き友人や恩師、親族、仕事仲間などに恵まれやってこられました。

激動の時代、とかVUCA時代とか言いますが、よくまあ基盤をあっちこっち変えながらもここまでやってこれたな、とも思います。

一方で、自分のキャリアについて時々考えることとして「フラフラしてるな」って思われてるんじゃないかな、ってことです。

自分自身でも両親から受け継いだ価値観に照らし合わせると、「フラフラしてる」キャリアであり、当初望んだことじゃないのは明らかです。

社会人になって所属組織を変えていない人はたくさんいます。そしてそれはとても羨ましく、またとても素晴らしいことと思います。

その人の「軸」に当たるものが客観的に明らですしね。

じゃあ、この平成の30年間、自分に一切「軸」はなかったのか。

そう問うてみると、すんなり出てきたのが冒頭書いた「水泳」でした。

軸は「水泳」(笑)。

国の代表選手になったことはないし、インターハイにも行ってません。

競技力的にはお恥ずかしいレベルではありますが、小学4年生から干支が3回りするまで続いてます。高校時代と、特に大学時代は本当に没頭しました。

生活のプライオリティだったわけです。

水泳が人生に与えた影響

人生を変えるような転機でも、水泳は大きく影響しています。

  • 高校選択の時は、他にも色々と理由はありましたが、あの糸井大先生(後に息子さんの方が有名選手になるのですが!)がおられる名門!?岐阜県立岐阜北高校を選びました。<平成元年>
  • 大学受験の時に一人で上京した際には、高校の県大会のリレーで獲得した賞状を持参しました。(これは忘れていたのですが、糸井先生の喜寿をお祝いする会で先生から聞きました。そういえば、某商業高校にも勝った記憶が)<平成4年>。
  • 大学の時は、旧7帝大戦という対校戦の幹事校の主将として、今度のオリンピックでも使われることになる辰巳水泳場を借りて、大会を運営しました。会場手配から広告集め、当日の進行まで一連の運営を経験したのです。<平成7年>
  • この経験から電通という会社に興味をもち、入社することになります。
    しかし、絵に描いたような敷かれたレールの上を23年間歩んできたのに、ドロップアウトすることになります。最初の人事に対する不満から電通をすぐに辞めてしまい、「軸」を探すことになtたのです。<平成9年>

ここで、どうやら社会人としてキャリアを積んでいくには「水泳」という軸以外に何かが必要だ、ということも悟りました。(本来は当たり前なんですけどね)

ただ、同時にチーム運営の難しさや望まぬ人事を経験し、すでに「人・組織」という後年確立するもう一つの「軸」の萌芽は確実に芽生えていたのですが、この時は自覚していませんでした。

  • そして、アクセンチュアIBMという組織の中で、脇目も振らず働きました。その間、職場の内外でとても多くの皆さんにご指導いただきました。同じく職場の内外で偉大な元水泳選手との出会いもあり、その関係はいまだに続いています。<平成9年から現在まで>
  • その間も合間を縫って泳ぎ続けました。いつも泳いでいるブリジストンスイミングスクール品川との出会いもこの頃でした。<平成17年>
  • そして出版。
    これも大きな人生の転機なのですが、きっかけは水泳つながりです。ブリジストンスイミングスクール品川がアクアマリン品川だった頃、同じレーンで毎週泳いでいた水泳仲間の田中ウルヴェ京さんのご紹介で、初めての本の出版に至りました。<平成24年
  • 40歳を目前に入ったグロービスでも、なんと創業者の堀さんは競泳の国体選手。ここでも水泳部に所属してます。そしてそこから様々なネットワークが広がっています。<平成20年代後半から現在>

ここに書いただけでは足りないくらい、平成を通じて折に触れ水泳つながりだなあ、と思う瞬間が多く訪れました。

30年間よく続いたな、と思います。

今も毎週末泳いでいて、これがないと1週間がまとまりません。

よくも冬場の寒い時期に泳ぎに行くね、なんて言われますが、リズムになっているので一年中泳いで、体調や心のバランスを取っているのです。

水泳と切っても切れない人生なわけです。

水泳を始めた機会は、母が嫌がる僕を無理やり開業したばかりの近所のスイミングスクールに放り込んだことでした。

当然ながら、あの瞬間がここまで人生にとって重要なポイントだったとは当時は全く自覚してませんでした。

母にも感謝ですね。

感謝しつつ

さらに言えば、「平成」という時代の象徴として体を張って仕事をしてこられた天皇陛下の、ご自身の誕生日でのコメントにもあるように、平成が戦争のない平和な時代だったから、平和の象徴であるスポーツを続けてこられたんだと思います。

いみじくも平成7年、戦後50年の年に開催した前述の旧7帝大の水泳大会。

僕は幹事校の主将として、開会式の選手宣誓の大役を担いました。

この年は戦後50年というだけではなく、1月に阪神・淡路大震災、3月に地下鉄サリン事件があり日本国内が揺れに揺れた年でもありました。

神戸ポートアイランドにあったプールの建物が倒壊した煽りを受け、関西の大会日程がずれたため、7大学のうち京都と大阪が参加できない事態が起こったのです。

7大学揃わなければ7帝戦ではない、と不参加を検討する他大学もありました。

ここでも決断することを迫られました。21歳の青年にはそこそこ大きな決断だったと思います。

相談した大先輩方は「お前が全責任をもって判断したらそれを支持する」と言ってくれました。そして前代未聞の5大学の参加での実行に踏み切りました。

プリンシプルに則って判断することの大変さや重要さを学びました。

そんな背景もあり、件の選手宣誓では万感の想いを込め

「戦後50年のこの年に、平和の中で水泳ができることへ感謝をしつつ、国を作ってきた諸先輩方に恥ずかしくないよう正々堂々戦うことを誓います」

と宣誓したのを覚えています。 国立大学ですしね。

平成の30年間は自分的には沢山泳ぎました。ざっと計算して7,000㎞弱かな、と。

残りの人生泳ぎ続けますが、一年100㎞を維持して生涯10,000㎞を目指したいな、って思います。

平和の中で泳げること、そして水泳という素晴らしいスポーツに感謝しつつ、令和でも頑張って泳ごうかなー。

(このゴールデンウィークは、平成滑り納めと令和滑り初めのために山にきてますw)

f:id:eitarokono:20190429001038j:image

f:id:eitarokono:20190429174630j:image