2019年の目標

こんにちは。

さて、早々と2019年の目標を立てました。

例年通り、公開できるのは大目標のみで、カテゴリー別に整理して立てた100の目標は別途管理します。

1)IBMビジネス:環境変化に耐えうる組織を

2018年の振り返りでもコメントしていますが、自分の所属する事業部がインドのHCLという会社に売却される発表がありました。

japan.zdnet.com

加えて、IBMの人事・人材関係ビジネスを担当する部門も大きくわかるというプレスリリースもされています。

japan.zdnet.com

内部にいる関係者にも今後の動きは十分開示されていませんが、大きな変化があることは間違いないです。

(これだけの大規模な組織にも関わらず変化を続けるこのIBMという会社は、客観的にみてすごいと言わざるを得ない、と思っています。)

目標については、不確定要素も多いので、チームを「どんな環境変化があっても対応可能な柔軟さを心理面でもスキル面でも備えること」を今年の少なくとも前半の目標にしようかと。

何も言っていないようで、実態を表している目標です。

2)自分のビジネス:積極投資で増収増益

これについては、どんどん攻めていきます。株式会社Eight Arrows2期目として増収増益は死守したいですし、将来への投資もします。

2018年、会社のスローガンとして”Bridge for the Better”というメッセージを決めました。媒体と媒体、人と人、コミュニティとコミュニティ、業種と業種、異なるものをつなげて、社会をより良いものにつなげていこうという意志を表しています。

www.eight-arrows.com

最終的には、自分のキャリアをかけて目指すところである”この国のホワイトカラーの生産性向上”に寄与していきたいと思っています。

それにかなった活動を進めてまいります。

例えば、書籍発信についてはできれば3冊、最低でも2冊は行きます。(1冊は春までには必ず出ます。)

また、書籍以外へのメディアへの発信も強化します。こちらもすでに色々画策してます。4月を目処にしたいなー。

加えて、コミュニティ的な活動も立ち上げられたらと思っています。これは1月には動きます。

色々やりすぎて戦線が間延びしすぎないように、どこかのタイミングで整合をとっていかなければならないことは自覚してます。

しかし、何もやらないうちにそれ言っていると始められないことが1期目を通じてよーくわかったので、まずは局地戦に見えても、始めてみることを優先します。

3)個人 心身ともに健康を

ここ数年、体づくりを最優先してきました。これって永久に続くんじゃないかな、と思い始めたのですが、敢えてここに記しておきます。

水泳の大会は3大会出場を目標にします。目標タイムは今世紀ベスト。

腕立て・スクワットは長期的な継続を最優先目標に、それぞれ100回ずつ。すなわち、無理しすぎず、途切れても悲観せず次の日にちゃんとやる。

心身ともに、という表現がありますが、心理面では大人になったからか2018年は悩みはあるものの、落ち着いてそれに取り組めるだけの余裕というか安定というか、そんなものがありました。

これは継続していきたいです。

あと、Amazon Echo Showを買ったこともきっかけになり、映画や音楽、小説などの芸術やエンターテイメントに触れて、幅を広げていきたいという気持ちが改めて膨らんできました。

間違いなく仕事面で忙しくなる一年ですので、バランスを保つためにもそういうものって必要だな、って思うのです。

何卒よろしくお願い申し上げます

色々目標に掲げましたが、全て自分一人ではやっていけない事ばかりです。(一人でやってもつまんないし)

これまでご縁をいただいている全ての人に感謝をしつつ、2019年も引き続き変わらぬご縁を賜れますよう、お願い申し上げます。

2019年元旦

河野英太郎

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早めにに今年を振り返ってリセットする

こんにちは。

平成最後のクリスマスです。

本来はあと一週間ありますが、今年の振り返りをして、早めにリセットしたい感じです。

今年も年頭に目標をセットしました。

eitarokono.hatenablog.com自分でも「VUCAの時代」などと発信活動をしていますが、当たり前のように環境の変化が多かった一年でした。

その中で自分は変化に大胆に対応したり、変化をリードできたか、というと振り返ると正直悔しい感じです。

なので早めに総括して次の目標に向かおうかな、という気持ちになっています。

例年のように4つの大項目は次で振り返るとして、昨年から立て始めた100の目標については達成率は30%。昨年は29%だったので、比較するとこんなものかな、とも思います。

悔しい感じ、といいつつも同レベル達成できているんだな、と思うとやはり客観的にふりかえることの意味を感じます。

さて、大項目ですが...

1) IBMビジネス:3年目なので集大成

これがつらかったです。

  • 主力商品の売り止めが海の向こうで決まり、戦略変更を余儀なくされたこと
  • 海の向こうで立ち上がった「新しい主力製品」は英語のママであること

などの環境下で、与えられた範囲でメンバーが工夫をこらして進めてくれました。

自分だけの感覚で言えば、こういうことはよくあること、って思えるようには鍛えられていますし、そのような状況下で工夫するというのも組織人としてのとるべき姿勢なんだろうな、とは思います。

と同時に「これに慣れてしまっていいのか?」という思いもあります。自分の進む道は自分で決めたいと思うのは人の性ですからね。

そんな中でも、メンバーが前を向いて動いてくれて、IBMの枠を超えたコラボレーションという、新しい形(イマドキ!?)での取り組みも複数できました。

その意味ではメンバーの成長が最大の収穫だったと思います。

最後のオチは年末12月に発表された事業部の売却ですね。

http://www.itmedia.co.jp/news/spv/1812/07/news098.html

自分たちにとってのインパクトの大きさと、周りの人に取ってのインパクトの小ささというそのギャップを目の当たりにした時に、自分たちの今までのつらさを象徴しているな、と感じました。

僕のチームはIBMには残りますが、全然形を変えて新たな出発をすることになると思います。

なので、責任の取り方ってのも新しい形になるのかな?(笑)

2)自分のビジネス:”事業経営”をする

これは、大満足という程ではありませんでしたが、新しい分野にいくつも踏み込んでいけました。外部に見えるような形には出来ていませんがその準備やチャレンジは着々とすすめられています。

まあ、見える範囲で言えばWebsiteを創ったり会社のロゴをつくったり。地味ですが必要なステップは進めています。

www.eight-arrows.com

過去の栄光にすがらず(とは言え有効活用しながら)、緊張感を持ち続けられる状況での切磋琢磨をしてこられたと思います。

2018年当初大胆に思い描いていたものとは形は違いますが、自分としての新しい方向性は見いだせました。

2019年は具体的な報告ができる予定です。

心残りは書籍の新刊を出せなかったこと。企画自体は存在してますので、来年は必ずリベンジです。

3)家族:特別なことをせず嵐を受けて立つ

ここについては、まあ、淡々とすすめました。家族のプライバシーなどに配慮するとあんまり書けることもないので、ちょっと来年からはこのカテゴリーは無くしてもいいかな。

4)個人:体づくりを中心に

ここは、もっとも改善してます。

体力についても腕立て伏せやスクワットを習慣づけられたこともあり、完全回復しました。

年齢による衰えを感じる部分もありますが、行き過ぎない範囲で気をつけられたと思います。

二回レースに出たのですが、夏のレースは目標達成、秋のレースは未達。

一方で1)や2)がそれなりに神経を使ったこともあり、ストレス面で意外に体に出てくるなあ、とおもった一年でもありました。

振り返りはできたので...

振り返りを前倒してみて、やっぱりかなりリセットできた感じがします。さて未来志向、未来志向。

アタマをリフレッシュして、2019年の目標は残りの一週間でよく考えてみたいとおもいます。

まずは皆様Merry Christmas!

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長編を読み終えた 浅田次郎の蒼穹の昴シリーズ

こんにちは。

今週末、浅田次郎著「蒼穹の昴」シリーズを読み終えました。文庫本は10冊で、最新作は単行本なので4冊、合計14冊でした。

本稿のテーマの「ホワイトカラーの生産性」とも通じる部分があると思ったので読後感も含めメモ。

「天命」にまつわる物語

蒼穹の昴」シリーズは、清朝末期から満州国ができるあたりまでの中国を舞台にした歴史小説です。

どうだろう、10月8日に最初の購入履歴があるので2ヶ月以上ですね、この世界に浸ることができました。

なんか不思議な表現ですが、日々の仕事や生活以外の別な「場」をこの間持ち続けていられたのがとても幸せでした。

どうしても移動時間ですらスマホを使って情報収拾・発信をしてしまう時代です。

でも本を開いて、スッとこの物語に移動できると、文字通り時代や場所を超えて旅行に行った気分になれて、だいぶお安い中国旅行ができた感じです。

その間、いろいろ考えたなー。

小説って読者によって、そして同じ読者でも時期によって、いろんな読み方がありますよね。

まず、物語の世界について。

登場人物は、「蒼穹の昴」「珍妃の井戸」はご存知西太后だったり、乾隆帝(の亡霊)だったり光緒帝だったりという皇族やそれを取り巻く人々。「中原の虹」「マンチュリアレポート」は張作霖とその周りの人たち。「天子蒙塵」はラストエンペラーこと宣統帝溥儀や張学良です。

そんな実在の人物に架空の人物を絶妙に絡ませています。

その登場人物の行動を描きながら、全編を通して「天命」がテーマだったと感じます。

「天命」についての僕の解釈は、自分が何しにこの世の中に生まれてきたか、ということを考えること実行すること、もしくは目標そのものなどを2文字にひっくるめた「概念」です。

他の表現でいえば「運命」とか「キャリアゴール」、「パーソナルミッション」とか「志」とか。

特にその中でも「中華皇帝」という、とんでもない大きな役割を「天命」の象徴として描いてます。

その天命を「望まないのに負わされた人」「望んで追っかける人」「翻弄される人」「持ってると信じている人」「繋いでいきたいと考えている人」が代わる代わる出てきて営みを繰り広げます。

そして「没法子(メイファーヅと発音するらしい)」=仕方がない、どうしようもない、という何度も出てくる象徴的な表現とともに天命を仕方なく受け入れる人と、なんとか抗ってそれを変えてみせようとする人の物語だと理解しました。

また、この物語の象徴である「中華皇帝」の意味での天命は、常に「民の平安」を基準とするものにもたらされる、という描き方をされています。

「我が勲(いさおし)は、民の平安」という言葉が人を代え、場面を代えて何度も何度も何度も語られるのです。

大きな志を叶えようとすればするほど世のため人のため、って思わないと叶わないんじゃないかな。自分だけのためだとやっぱり「天」という言葉で表現された「公」とか「世間」とかが味方してくれないんだろうな、と解釈しました。

当然、中国を統一して治めるというレベルとは全く規模や意義、難易度は全く違うものの、僕らも日々仕事をしながら人間としての一生を過ごしていく中で、キャリアゴールを追うことの意味や、それに対する姿勢を考える良い機会になったな、って思います。

つい、疲れてしまって人生のファイティングポーズを解いてしまい「どーでもいいや」なんて思ってしまったり、「あいつのせいで、こんな風になってしまった」って他責にしてしまったりすることって、あると思います。

もちろん、長い人生そういう時期があってもいいのですが、「没法子(メイファーヅ)」と言わず「我が勲は、民の平安」と気持ちを持ち続けることはその気になれば誰でもできることだったりするんじゃないか、って強く思いました。

小説家ってすごい

また、物語の世界を外れた、表現などの話については次のようなことを考えました。

・何千ページにも及ぶ長編でも読者を飽きさせない表現の多彩さは圧倒される。

・史実をよくここまで調べたなあ。

・描き始めから現時点の最新まで四半世紀近い年月が経つのに、メッセージがブレてない。

・伏線とその回収の間が壮大で、かつ今後も期待させる未回収の伏線もあり、よく考えたなあ。(毛沢東がそろそろ出てくるんじゃないんか?)

・中国語も喋れるのかなあ。

などなど。

自分でも文章書いたり、ジャンルは違うものの本を出版するという作業を経験してみて、なおさらこの長編小説を書くという仕事のすごさを感じた次第です。

同時並行でいろんな本も読んでましたが、2ヶ月もはまっていた「蒼穹の昴」の世界から離れるのはなんか寂しいですが、またいろんな本に手を出して新しい出会いを探していきたいです。

なんか面白い本があったら教えてくださーい!

皆さんは、この本を読んでどう思われるでしょうか。

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「若手の会」がおっちゃんだらけという…

 

こんにちは。

上から目線で使う言葉

「若手」という言葉がありますよね。

僕も結構日常的に使ってしまったりします。

ある時ふと考えたんです。二人称で使う「若手」って言葉って、言われた側に対しては失礼なんじゃないかと。

「若手」って言葉を使う状況を思い出してみると、つい上から目線で使っていることに気がついたのです。

「若い人」「若者」とは重複はあるものの、ちょっとだけ違ったニュアンスを込めている様に思うのです。

何と比較して若いか、というと自分の価値観で「一人前」であるイメージと比較して、ということだと思います。

少なくとも自分よりはジュニアな人、訓練の余地がある人、という意味ですね。

昔、こんなことがありました。

自分の会社がIBMに買収された2002年、統合を祝う顔合わせのパーティの幹事になった時のことです。買収したIBMサイドと買収された 旧PWCサイド両方から幹事を出して立食形式の食事メニューを考えていました。

IBMサイドの幹事から、

「君たち若手が多いから炭水化物多めがいいんじゃない?」

と水を向けられました。その時、自分としては自然に

「いえ、僕たち若手いないので。」

と回答しました。

IBMサイドの幹事は、「え?」とばかり、すごく怪訝そうな顔をして、

「っていうか、君自身が若手だし、他の人も大半若手じゃん?」

とコメントしたのです。

平均年齢が10歳以上異なる会社同士の合併。認識が違って当然ですね。

当時僕は28歳でしたが、若手って新入社員のことだけを指すと思っていました。

一方当時のIBM側は30歳代は若手に入ります。旧PWC側はほとんど全員若手な訳です。

組織文化って面白いなー、と思ったと同時に若手扱いしないでほしい、と若干不快な感覚を持ったのを覚えています。

一人称で使うと、責任逃れ

で、ここからが本題なのですが、少し立場を変えて一人称で「我々若手は」という言葉を使うときの感覚です。

あくまでも僕の経験を通した「感覚」ですが・・・

「若手同士の交流」とか「若手有志の会」という話を聞いて、行ってみたらほとんどおっちゃんの集団だった、という経験を何度かしたことがあります。

で、その人たちは、いろいろ考えはお持ちの様ですが、書生っぽい議論はしつつも実行するのは自分たち以外の誰か、というスタンスの人が多い傾向にあります。

冒頭に定義したように、何か自分の中で「一人前」のイメージがあって、それよりは「若い」ので、若手なわけです。

 すなわち「若手」という言葉で「権限がないけど意識は高い自分たち」と定義して、当事者意識という責任から逃れているように思えてなりません。

そうでなければ、そんな屈辱的な表現、自分に対して使うことは許せないと思うんですがね。

まあ、客観的に若いとか、責任や権限が無いという現実はありながらも、是非自分からそんな言い方は死絶対にするもんか、という気概は持ちたいところです。

皆さんはどう思われますか?

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落合博満著「決断=実行」

こんにちは。

取るよ。だって他にいないじゃない

僕が岐阜の片田舎で中学生をやっていた頃のことです。プロ野球ロッテオリオンズ三冠王落合博満選手が、我が中日ドラゴンズに移籍するというニュースを耳にした時、すごく驚いたとともに嬉しかったことを覚えています。

パ・リーグ三冠王を何度も取っている選手なので、プロ野球ファンだったら当然誰でも知っている選手でした。

NHKなんかでも特集番組が組まれていて、目にする機会は多かったです。

インタビューでも、

「来年は、三冠王取れますか?」

というベタな質問に対して、

「とるよ。だって俺以外いないじゃない」

という発言。有言実行、すごくかっこいいと感じました。

ただ、関東の球団でパ・リーグだと岐阜ではプレーを目にする機会はほとんどありませんでした。なので、ちょっと「遠い選手」って感じでした。

その落合選手が中日に来る!連れてきてくれた星野監督もすごいと思ったけど、三冠王がテレビで見られるのは本当に嬉しかったです。

その後の監督としての中日ドラゴンズへの貢献はご案内の通り。8年間で全てAクラス。5度の日本シリーズ出場。

僕が少年時代ではあり得なかった一言「また日本シリーズか」なんてことを言えた時代でした。

特にその監督時代について書かれた本です。監督を引かれたタイミングで「采配」という本も出されたのでそちらも読みましたが、ますます、研ぎ澄まされた感がありました。

原理原則に忠実で表裏がない

読後感としては。。。

  • 非常に論理的な方である、という思いを改めて強くしました。冒頭の「三冠王取れますか?」に対して「取るよ」という発言。これ感覚的に、かつウケを狙って発言されてたのかな、って子供の頃は思ってました。それ以外の発言も一見突拍子もなく、聞いた人が「え?」って返しそうなことをおっしゃいますが、実はその裏にはちゃんと論拠がある。
    感覚的どころか、結論を言ってから聞かれたら論拠を伝える、という非常にシンプルかつ論理的なコミュニケーションスタイルなんだな、と今になって思えます。
  • 原理原則に忠実である。色々複雑な要素が絡むことでも、原理原則を定め、そうと決めたら変えなければならない理由がない場合は一貫してこだわり続ける、という姿勢が読み取れます。
    ゆえに、極端な飛び道具や奇をてらった言動がありません。ブレもない。
    「投手交代には一切関与しない」「勝つことが最大のファンサービス」「勝ちは選手の手柄、負けは監督の責任」「オーナーに常勝軍団を作れと言われたから、そのために来た」を最後まで貫こうとされてます。
  • 発言に表と裏がない。「勝ちは選手の手柄、負けは監督の責任」なんて、言うは易し、行うは難しの典型ですが文字通りそう思っていたのだろうな、と感じられます。
    その分、責任を全うするために、その時点では非情・非常識とも取られる言動も臆せず取っています。
  • 打者時代も、天才でもあったのでしょうが、それ以上にすごく考えて練習をされていたことが分かります。そして監督になってからもついてくる選手にはものすごい厳しい練習を課したようです。やはり日々の正しい努力は裏切らないのだなと思いました。天才じゃなくても与えられた可能性を極限に引き出すことは誰にでもやれないことではないので、これは万人に当てはまると思いました。
  • そして何よりも、上記のような卓越した「決断=実行」を経て、選手・監督を通じて飛び抜けた結果を出したところ。これが最も説得力ありますね。
    若い頃は色々なことにチャレンジされたようですが、落ち着き先としてプロ野球という活躍の場に身を置いて、それを突き詰めたところは見習わなきゃいけないな、って改めて思います。
    この点は特に今の自分に取って重要なメッセージだったように思えます。

まあ、もともとファンなので贔屓目に読んでしまっているかもしれませんが、プロ野球ファンや中日ファン、落合ファンじゃなくても、読んで意味のある書籍のように思いました。

人生の恩人のひとり(会ったことないけど)

最後に余談ですが。。。

この落合さんも、実は僕の人生に大きく影響を与えた一人なのです。

僕は高校一年の秋に突然「東大?行くよ。だって他にいないじゃない」と聞かれもしないのに、あちこちで宣言をし始めました。

焚き付けた恩師も恩師ですが、調子に乗った僕も僕。当然イメージはあの「落合節」です。

冒頭の「三冠王?取るよ。だって他にいないじゃない」に”表面的に”影響を受けて、真似をしたわけです。

当時は東大どころか、大学に行けるかどうかすら怪しいレベルだったので、大いにバカにされましたが。

高校生の僕は落合さんが、周りに宣言をして自分を追い込むために「三冠王」発言をされていたと誤解しており、裏で発言に足るような綿密な思考と人並み以上の努力をされていることには目がいっていませんでした。

ま、結果的に想像を超えるような努力をするハメになったので順番が逆だっただけのことですが。。。(同時に100メートル自由形で1分を切るという宣言もしてしまい、さらに自分の首を絞めました。)

あの宣言がなかったら今の自分はありません。落合さんに感謝です。

だからこの人のことが好きなのかも。

ぜひ手にとってみてください。

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伝統をまもりつつ・・・

こんにちは。

この3連休は「伝統」について、考えてみました。

「伝統」に思いを馳せた週末

 以前、こんな文章を書いたことがあるのですが、写真から推察するに、そのときも週末に訪れた日光の様子がキッカケだったようです。

eitarokono.hatenablog.comこの3連休は、歴史を扱った小説や映画に触れたこと、自宅の近所にある大鳥神社の酉の市に熊手を買いに行ったこと、そして東大駒場際の大河童踊りを見に行ったことが重なったのがキッカケになりました。

特に、東大駒場際の大河童踊りは、ちょっと感動しました。

それについて少し書いてみたいと思います。

河童踊りは水泳部伝統の行事で昭和4年から続いているということだそうです。水泳部自体は明治17年から続いているので、比較的”新しい”行事かもしれません。

こんな記事がありました。ご参考。

平成4年から数年間は僕も現役生として(卒業してからも体が動く時は時々)参加しました。

平成5年には現場責任者である「河童隊長」を拝命(笑)し、理不尽な環境下(?)で人に動いてもらうことの難しさを学びました。

あまり詳しくは書けませんが当時は河童踊りも隆盛を極めていました。(=ちょっとエスカレートしてました)

 70匹以上の河童が出現して全長は百メートル以上の大行列になったのをおぼえています。

その後、様々な社会的情勢が変化したため、形を変えながら後輩達が引き継いでいてくれます。

河童隊長も25周年だし、今年はちょっと顔を出してみるか、と思い駒場に向かいました。まあ、25年以上たったとはいえ、最寄り駅が近づいてくると脈拍があがってきます。

「あ、まだあったのか」という、忘れていた感覚がわき上がってきて河童モードのスイッチが入ってきました。

と同時に、現代の河童踊りがどうなっているか、久しぶりすぎてちょっと心配というか不安になってきました。

開始予定時刻の15時20分、変わり果てた(というか、見違えるほど近代的になった)キャンパスを迷いながら歩いてスタート地点にたどり着きました。

イマドキの河童踊り

「今の若者」という表現はどの時代にもあります。

文字通り「今の若者」たちが、”伝統的な”河童の装束に身を包み、伝統の河童踊りを晩秋というかむしろ初冬のキャンパスでやってくれてました。

自分自身も現役時代、特に初めて河童に変身したときはいろいろ複雑な思いがありました。恥ずかしさとか、理不尽さとか、バカバカしさとか(笑)

「今の若者」もそれぞれ思いはいろいろあるとは思いますが、旧き伝統を引き継いでくれていました。

僕自身も先代の河童隊長から引き継いだノウハウを、なんとかこなす中でとんでもなくたくさんのことを学びました。

おそらく、おそらくですが、今の現役の皆さんも、準備や本番をこなしているうちに何かを感じ取ってくれるのではないかと思います。

運営の仕方や、姿、踊り、歌、実行委員会や警察などの周りの社会との関係など、僕らの当時とはかなり変わっている部分もありましたが、そういうのは当然とおもいます。

むしろ、そうあるべき、って思います。

ただ、世代を超えた共通の「何か」だけはつないでほしいと感じるし、実際につないでいてくれることがもの凄く嬉しかったです。

自分の現役時代には、まだ歴代15傑の記録の中に戦没者の方の記録が残っていたりしました。

そういう大先輩たちがどのような思いで戦地に赴かれたかは正直、想像を超えます。ただ自分がほんの少しだけど、また河童踊りという個性的な形式ではあるけれど、そういう人たちの思いをつないでるんだな、って感じられるのがちょっと誇らしくもあり、社会を担う人材を輩出するための大学の運動部のメンバーとしての少なからぬ責任も感じたものです。

伝統って、そのまま引き継ぐことだけに意味があるという言い方があります。同時に聖域無く変えていいもの、という考え方もあるでしょう。どっちなんでしょうね。

会社組織で言えば、看板が変わったり、トップにフランス語をしゃべる強烈な人が君臨したりすることもあるかもしれません。

そんな環境変化の中で、なにをつなぎ、何を変えて行くかというのはその時々の現役の人が判断するんでしょうね。

ただ僕個人としては、現役を過ごした時代は違うものの、同じようにプールの中で若い時期の貴重な時間を投入して、競泳で言えば自己ベストタイムを、水球で言えばゴールや勝利をめざした者同士共通の「水泳部魂」がまだ残っていることを確認できた、大変うれしい週末でした。

みなさんはどう思われますか?

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何しろ、VUCAの時代ですから。

こんにちは。

VUCAって?

ご存知の人は多いかと思いますが、VUCAという表現があります。

VUCA - Wikipedia

Volatility(変動性)

Uncertainty(不確実性)

Complexity(複雑性)

Ambiguity(曖昧性)

仮にまとめると、過去と比べてより「答えがわかりにくい時代」ということです。

現代がそういう(VUCAの)時代だ、だから”いろんなこと”が大変だ、という文脈で使われます。

本稿のテーマである、ホワイトカラーの働き方についても当てはまるんでしょうね。

かつて、先輩から教わっていた働き方についても、”答えが無い”という時代なんじゃないか、と思い始めています。

じゃあ、どうすればいいんですかね。

特に、僕たちすでに社会に出て時間が経ってしまっている世代はどうしていけばいいのだろうか。というテーマについて日々考えさせられます。

仕事の仕方というテーマで書籍を出版したのが2012年3月。12年3月に出すということは11年に書いていたわけです。

で、そのために貯めていたノウハウはそれ以前のもの。かれこれ10年前の「コツ」というわけです。

当時は最新だった自負はありますし、大半は今でも通用するものではあると思います。

試しに、仕事の仕方に影響するもので、2012年時点には無くて、2018年の今あるもの、というテーマでツールやコツ、環境変化をあげてみたところ、挙がる挙がる。

何しろ、VUCAの時代ですから。

Slackは無かったし、NewPicksも無かった。Instagramも日本ではほとんど知られていませんでした。第二期の安倍さんは就任前だったので安倍さんが始めた働き方についての方針はまだ始まってませんでした。

っていう感じで、そのまま書籍の目次案になってしまうくらいでした。

なので、PHP出版のTHE 21の皆様と相談させていただき、以下のようなテーマで連載を始めてみました。

shuchi.php.co.jp

是非ご覧いただければ、と思います。

VUCAなのに発信できることあるの?

しかし、じゃあ、何が新しくて何が古いのか。ある瞬間をスナップショットで切り取ってしまったら、そのタイムスタンプを起点としてどんどん古くなるわけです。

ワークライフバランスという言葉が古いと感じている世代がどんどん社会に出てくる。

これってイタチごっこじゃないか、とも考えられます。

20年も社会人をやれば、このイタチごっこを何周回見てきたことか。

何しろ、VUCAの時代ですから。

この連載を作っていく中で感じたこととして「具体的アクションになると変わってくるが、根本的な訴えは変わらない」というものです。

すなわち「目的を達成する上で、資源(時間や労力、お金など)を如何に有効活用するか」を常に追求すること。そのためには「環境の変化を捉えて、捨てるものは捨て、採るものは採る」ということなのだろう、と思ったわけです。

ぜひこのテーマで世の中に問いかけて見たいなあ、と思った次第です。

どんな展開になるか分かりませんけどね。何しろ、VUCAの時代ですから。

皆さんは、どう思われますか、VUCAの時代ですけど。

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