筋肉痛は不快な痛みか

こんにちは。

筋肉痛は心地よい!?

本稿を200回以上書いてきているのですが、「同じことでも人によって感じ方や捉え方が違う」という”認識ギャップ”について、書くこと多いです。

そういうギャップを発見するのが、楽しいんですね。

今回も、ご多聞に洩れず認識ギャップの話題です。

ズバリ「筋肉痛をどう捉えるか」

なんでこんなこと考えたかというと、最近ある人と筋肉痛について話題になったときに、その人が筋肉痛を「不快な痛み」と捉えている様に思えたことがきっかけでした。

なので、念のためどう感じているかを確認したところ「不快である」というのが答えでした。

それどころか「不快に決まっているだろう」という反応でした。

試しに、僕の周りの他の人たちに訊いてみても、どちらかというと不快と感じる人の方が多い印象。(この辺り、実際はいかがでしょうか!?)

これが、僕には新鮮な発見でした。

当たり前ですが今まで、筋肉痛になったことは何度もあります。今でも週に1度程度は筋肉痛になります。

これを不快と感じる人がいること自体が「へー!」って感じでしたが、どうやら大人になると、そちらの方が多数派かもしれないというのもこれまた大きな発見でした。

筋肉痛とは、僕にとっては健康のバロメーターであり、体を動かすことによって発生する成長の証の様なもの。

筋肉痛になっていないと、不安ですらあります。

しかし多くの人にとっては疲労の象徴であり、不快な痛みである、と。

この違いを大へん興味深く捉えました。

そう考えると、体の痛みや発熱をどう捉えるかとか、音や匂い、光や振動などいろんな刺激をどの様に認識するかによって人の行動って大きく影響されるのだな、と改めて感じました。

筋肉痛を肯定的に捉えれば、運動をし続けるという行動に現れます。ときにやりすぎることもあるでしょう。

一方で筋肉痛を否定的に捉えれば、無理な運動を避けて平穏な暮らしを送ることになるはずです。

ホワイトカラーに当てはめると…

こういったアイデアを、ホワイトカラーに置き換えて考えてみるのが僕のクセです。

ホワイトカラーの仕事の仕方にも、認識ギャップありますよね。

よく、働き方改革の議論でも話題になります。

世の中には仕事が苦痛と捉える人がどちらかというと多いでしょう。しかし一方で仕事が好きでたまらないとか、徹夜明けのあの気だるさが快感、という人もいると思います。

大きなイベントが終わった直後にも普通に働く自分が当たり前、という人もいます。

どんどんチャレンジして、失敗する。それを繰り返すことが好きという人もいます。

理由はおそらく、それが自分の成長につながると思えるため、とか、そうしている自分が好きだから、というものでしょう。

そんな人が結構いて、大きな成果を出していたりします。

同時に、周りにも自分と同じレベルの働き方を要求して「人を潰してしまう人」というレッテルを貼られている人もいます。

でも、その人はこう考えています。

「こんなに楽しいのに、なんで仕事しないの?」

「よっしゃー、キタキタ。一緒に朝まで頑張ろう!な!」

言われた方は、感じ方が同じ人であれば一緒に楽しめると思いますが、そうでなければ苦痛以外の何物でもないわけです。

冒頭の筋肉痛の捉え方と違って、チームで動くためには、この認識ギャップは埋める必要がありますね。

じゃあ、どうすればいいか。

じゃあ、どうすればいいかというと…いつもの「基本に立ち返る」というやつです。

認識の違いを埋める方法って、なんでもそうですが、まず話し合いだと思います。

話し合うためには、お互い相手を理解する必要があります。アタマから否定してしまうと話し合いは成立しません。

世の中には仕事が楽しくて仕方がない人もいれば、仕事は苦痛なので、生活さえできれば人生における優先順位は高くないという人もいます。

ただ、お互いを理解した上で、自分の価値観を周りに強制しないことが重要なわけですね。

自分の価値観の周りへの強制というのは、例えば「自分は仕事が楽しいので、周りも同じ様に楽しむべきだ」と考えたり「仕事はあまりしたくない。でも残業代は欲しいし、一番早く昇進したい」などと考えたりすることをさします。

唯一強制される価値観というのは、組織のバリューとかミッション、社会通念上の道徳と言った、多くの人に認められた”共通価値観”的なものだけです。(これが、明文化されてなかったり、環境に応じて変わってくるので注意が必要ですけど)

っていう感じで、少しでも多くの人が相手の価値観を尊重する様になれば、チーム内の認識ギャップは減って、組織やチームの目標達成も円滑に進むのではないでしょうか。

なんてことを考えた今年のゴールデンウィークでした。

(ちなみに、僕は筋肉痛を不快と捉える人に対して、当たり前ですけど筋肉痛を強制する様なことはしません!そういう人がいるのは、初めて聞いたときは意外でしたが、普通にそういうもんだろうな、と思います)

皆さんは思いますか?

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仕事が早い人は、作業が速い人か?

こんにちは

聖地巡礼?原点回帰?

最近ちょっと仕事が重なることが多くて、もろもろ後手に回るようになってきたなー、と思うことがありました。

「こう言う時は、基本に立ち返るべきだ!」と思い、自著をパラパラとめくってきました。

99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ

すると、Chapter. 1の4項目に「早め早めにチェックを受ける」というタイトルがありました。

「お!」と思い、読んでみるとなかなか良いこと、言ってます。

Chapter.1は「報連相のコツ」がテーマなので、「作業者の立場の人」を主人公に想定して、この人がどういうタイミングで上司とコミュニケーション取れば良いか、という立て付けで書いています。

方向性が変わる前になるべくチェックを受けろ、とか、悪い話は早めに耳に入れて対処方法を相談せよ、ということです。

ただ、これって現場作業者だけにいえることではありませんね。

逆の関係(リーダーからメンバーへのコミュニケーション)であってもそうですし、依頼主とそれを受けた側の間のコミュニケーションにも該当します。

必ずしも作業自体のスピードは問われていない

仕事が早い人(短期に仕事を終えられる人)というのは、どういう人か、という問いに対しては、つい

  • 「キーボードを早く打つ人」とか
  • 「調べ物をしなくても、知識が膨大にあって探さなくていい人」
  • 「頭の回転が速くて判断が早い人」

というように、作業そのもののスピードが速い人を想像しがちですが、現場では必ずしもそういうわけではありません。(もちろん、無関係ではありませんが)

多くは、

  1. 「無駄なことをしない人」
  2. 「手戻りが少ない人」
  3. 「問題を大きくしない人」

です。

自動車で例えるなら特に、F1のようなとんでもないエンジンを積んでいる必要はなく、通常のエンジンでいいわけです。

ただ、必要な時に動き、早めに軌道修正しながら正しい道を選ぶことさえできれば。

F1のエンジン積んでても、間違った道を猛スピードで突き進んだり、直ぐにこわれてしまっては意味が無いですからね。

これを、ちゃんとやってさえいれば、小型乗用車のエンジン相当の作業能力でも、相当早く仕事が終わるわけです。

「今日の1分」は明日の5分、明後日の50分、来週の5時間

で、冒頭触れた「早め早めにチェックを受ける」に戻ります。

ここでは、早めにチェックを受けるためには、着手は早めにする必要があります。

が、ついついものごとを先送りにしてしまうのが人間の性。

依頼を受けた時にさらっ、とやっておけば、1分の作業で済んだものを、放置していたため、相手の期待値も膨らみ、イライラもたまります。

中には反応が遅いことそのものを「問題行動」としてあちらこちらに触れ回る人も多いでしょう。

翌日には丁寧な返答文を書く必要ができて5分の作業になり、2日後には上司を巻き込んで50分、翌週にはちゃんと事態を整理した資料を作成して5時間かけて関係者への説明にあたらなければならない、ということになりかねません。

1分と5時間は300倍。とてつもない差です。

そして「5時間のおおごと」にしてしまうと、多くの場合周りの人がその対処に巻き込まれます。

他人の時間を、本来は発生しなかった、無駄とも思える尻拭いの仕事に巻き込むのは、他人の人生を削っている行為に近いですよね。

ただ、直ぐに対処すれば良かっただけなのに、他人の人生を縮めてしまうなんて...

自戒を込めつつ。こんなことを考えた週末でした。

皆さんはどう思われますか?

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立花岳志さんの『「好き」と「ネット」を接続すると、あなたに「お金」が降ってくる』を読みました

こんにちは。

今回は書籍の読後感です。

久々の読書

上場企業で働く会社員にとっては、魔の四半期末が終わると束の間のリラックスタイムが来ます。

ゴルフに行ったり先送りしていた友人との会合に使ったり、家族との時間に当てたりする人も多いでしょう。

溜まっていた本を読む時間に当てるという人も多いと思いますが、僕もその一人です。

四半期末の3月23日に上梓されたため、少しの間とっておいた、立花岳志さんの書籍を拝読しました。以下のリンクご参照。

 プロブロガーとして活躍する立花さんとの接点は、僕が書籍を出版したばかりの時に何かの会合でご挨拶する機会を得たことです。

それ以降ブログやSNSをフォローして色々参考にさせていただいているという関係です。1,2年に一度お会いする機会も持たせていただいています。

普段主に会社員として働く身としては、ネットを軸にピンで働く人との接点はどうしても少なくなるのですが、彼をフォローしているだけで違う世界を垣間見られるという意味で、非常に刺激を受けています。

「習慣化」「テクニック」「メンタリティ」

もともと、この本を読むにあたっての僕の課題意識は、自分の発信活動をより良いものにする、ということでした。

自分自身の発信活動については、信念を持って淡々と続けているものの、もっと良くできるように思うのですが、どうしたらさらに良いものになるかについて、いまだに試行錯誤中なのです。

その意味では、参考になる点が多々ありました。

この本のキーワードを3つあげろ、と言われたら僕は次の三点をあげます。

  1. 習慣化
  2. 発信テクニック
  3. 発信する上でのメンタリティ

「1. 習慣化」については、著者の立花さんは、かつてご自身を変えるためにランニングとブログを始めて、それを習慣化し、大きく人生を変えたターニングポイントの経験が背景にあります。

この点は、僕は新しい発見があったというよりは、自分自身の経験を確認させてもらえるお墨付きのようなものを得たな、という感覚を持ちました。

僕の1冊目の書籍の中で、名言サイトなどでよく引用されているフレーズの中に「継続は力だが、力な必要な努力は継続しない」というものがあります。

それと同じコンセプトが何度も出て来ました。

ハードルを下げ、継続を優先する。そこには、これまた僕の主張でもある「目的合理性の追求」とも通じるものもありました。

そして「2. 発信テクニック」についてが、僕にとっては新しい情報でした。

SNSやブログを活用する上でのテクニックで、「え、そうだったの!?」ということが何度も出て来て、今までちょっと色々無駄なことして来たかな、と思ったポイントがありました。

まあ、これから改善していきます。

3点目の、情報発信する上での「メンタリティ」も大いに参考になった点です。

ここは「2」と違って明日からすぐに改善に入る、というよりは少しずつ変えて行くのかな、という種類のものだと思います。

「立花さんの言う通りなんだろうな」と納得はしつつ、まだまだ抵抗がある部分でもあるので(会社組織に所属しているからでしょうか)、少しずつ改善していければと思いました。

具体的な内容にまで触れると、ネタバレになってしまうので避けますが、情報発信活動を進めていきたい人とか、現在の自分がなんか停滞している感じがするな、という人はぜひ手に取ってみていただくと良いのではないかと思います。

何よりも読みやすい

そうそう、あと、同じ書籍を出版する立場の者として大きく印象に残ったのは、文章の読みやすさです。

実はこの本、300ページくらいある書籍です。通常ビジネス書カテゴリーの書籍って200ページくらいなのです。

だから最初は、驚きました。書く側としても読む側としても。

でもそれは杞憂でした。

何と言っても毎日何千字もパブリックに発信している人です。文章書きなれておられるんですね。とにかく読みやすい。全然負担感が無いです。

ご本人によるとこの倍以上書いたものを凝縮してこの分量に収めたようです。

普段から「文章筋肉」がついている人だからこれくらい書いても平気なんでしょうね。

そんな面からも刺激を受ける本でした。

いかがでしょう、皆さんも手にとってみては?(四半期末になる前に!)

 

100の目標4半期チェックポイント Met: 8/On Track: 15 

こんにちは。

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今年も第1四半期が過ぎました

年の初めに年間目標を立てました。これは2015年からやってます。

eitarokono.hatenablog.com年間を通じて達成するものですので、抽象度が高いため、昨年から同じカテゴリーで少し細かく100の目標を立ててみました。

その中にも書いてあるのですが、100個たてたので全部覚えきっているわけではありません。ちゃんと思い出すためにも中間振り返りではなく四半期で振り返ってみようかな、と思いました。

まず、どんな四半期だったか、というと...

総合的には、んー、それなりに走ったつもりですが、これだ!というアピールができる成果は現時点で挙げられていません。とはいえ将来に向けた布石は打ててはいます。

100の目標の達成度合いで言うと、

  • 第一四半期で達成した項目は8項目
  • 経過順調なのが15項目
  • 現時点で測定不能なものも含めて未達成が77項目

でした。

IBMのビジネス面では学ぶことも非常に多くありました。

脱力することや怒り狂うこと、悔しくて仕方ないこともたくさんあった四半期でした。

だれだって同じだと思いますが、次から次に降り掛かってくる困難に全力で対処しているうちに知恵を使って工夫します。
だから当然考え方もいろいろ変わってきています。それを僕は今のところ成長ととらえています。

自分の会社(株式会社Eight Arrows)のビジネス面でも変化を加えてこられました。

グロービスでは新たなコースをもったりパートナーファカルティになったり。

また、発信活動では下記のような新しい連載を持ったりしてます。

www.kyoritsugroup.com

ブログも定期的更新は続けられています。

家庭生活の面では、子どもたちの思春期への対応が少しずつうまくなっている(って言うのかな?)とは思っています。

そして、個人生活の面では、健康面については特に風邪を引くわけでもなく淡々と体づくりはできています。昨年秋に病気をした直後から5キロほど体重を増やしましたが大半筋肉と信じています

小説を読んだり映画を見たり、競技会に出場したりという目標も立てているのですがそのあたりもOn Trackで来ています。

それぞれの目標を達成することは、当然継続して追求して行きたいです。

残りの3四半期は今まで以上に新しいことへの行動を増やして行きます。

そのためには、人と会う回数を増やし、そこを軸にインプットも多くしたいと考えています。そしてここに書けるような具体的な形にできたらいいなあと思っています。

企画段階から具体化、ということですかね。

目標を立て、振り返ることの意義

毎回、自分で振り返って思うのですが、目標って立てることも重要ですが、振り返りってすごく有意義だと思います。

目標そのものを思い出したり、年初に自分が希望に満ちて考えていた初心を思い出したりすることができます。

そして何よりも自分の成長・変化についても確認することができます。

まずは皆さんも目標を立てて、振り返ってみてはいかがでしょうか。

 

新社会人の皆さんへ

こんにちは。

4月ですね。

今年も日本の新卒一括入社の季節がやってきました。

4月1日が日曜日ですので、多くの人が4月2日に入社式を迎えられるのでしょうかね。一昨日の3月30日の金曜日に会社を出る時にIBMの一階のフロアでも準備が行われていました。

新社会人の皆さん、ようこそ!

どうしても自分の時のことを思い出してしまいます。

そのころには存在すらしていなかったGoogleの作ったGoogle Home miniに尋ねたら1997年の4月1日は火曜日だったそうです。

その日に僕は社会人になりました。そのときに着ていたYシャツは今でも持っていて、その後20回ほど通過してきた4月1日に着たりしています。形は旧いですがまだ着られます。

20年以上に及ぶ、失敗したりうまく行かなかったりした経験の中から、参考にしてもらえることは無いかな、なんて考えて書き始めてみました。(順不同)

  1. 誰しも、新しい世界に飛び込む時は期待と不安の両方の気持ちを持つものです。どちらも成長のためには必要なことです。特に不安の方は不快に感じるのではなく、成長の前触れとして是非たのしんでみてください。
    (あなたの目の前の先輩も全員が通ってきた道だし。)

  2. 新社会人って、職場でいろんな意味で目立ちます。たくさんの人が寄ってくると思います。そんでもって、いろんな「ご助言」をくれると思います。その人自身のために近寄ってくるのか、あなたのために近寄ってくるのかは見極めが重要!
    (経験的には、本当に有益な助言をもたらしてくれる人は、最初は少し遠巻きにあなたを眺めていることが多いです)

  3. 「石の上にも3年」は仕事を覚える上では、ある程度真実だと思います。

  4. 仕事を依頼されたとき、法律や倫理、信義に悖ることを強制された場合以外は、たとえ納得いかなくてもまずやってみることをお薦めします。違和感あることを体験してみるのは視野を広げるいい機会かも。

  5. 働き方改革」ってのを誤解しないように。減って行くこの国の人口でも成長をするための”生産性向上”のための重要な施策です。早く帰るための施策ではありません。

  6. 「素直さ」は若い頃の数少ない武器だったりします。ちょっと不器用でも素直な人が、かなり器用で(素直じゃなくて)当初先頭を走っているように見える人を追い抜くのは、意外に時間がかからないものです。 
  7. 「キャリアビジョン」というやつを今の時点であなたが持ってなくても、気にすることはありません。あった方がいい、というだけです。40歳までに持ってなかったら、立ち止まって考えてみればいいです。
  8. もし「誰かのために」って思える仕事があったら、それは最も幸せなことです。つきすすんでください。でも、今の時点でそう思える仕事が無くても気にしないでください。30歳までに経験できなかったら立ち止まって考えてみましょうか。
  9. 今まで育ててくれた人に感謝しましょう。そして、それを伝えましょう。今がいいタイミングです。僕はタイミングを逃して今まで来ちゃった。
  10. (ここまで書いてみて思ったけど)年をとると説教っぽくなりますね。そういうものだと思ってください。いつか分かるから!
    そして、次の世代に伝えてあげてください。気が向いたらでいいです。

さて、現場でお会いしましょう!

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ログを振り返ることの意味

こんにちは。

過去ログを振り返る作業

最近、当ブログを振り返って毎日一本ずつ読み直すという作業をしています。

もともとは、バラバラと書いていたものをカテゴライズするために始めた作業でした。一本ずつ編集モードにして、同時進行で作った「チーム」「リーダーシップ」などというキーワードにタグ付けして分類しているのです。

その作業だけを一気にやってしまうと負担感もあるし、面白くないので一日一本ずつ実施し、その際にコメントを加えて改めてSNSで共有する、という作業に置き換えてみました。

そこで、幾つか思わぬ収穫がありました。大きく3つくらいでしょうか。

思わぬ収穫

まず、何よりも一点目は、自分が過去考えたことを霧散させず、改めて蘇生できること、ですね。

タイムラインなどで流れて行ってしまうのを防ぐためにストックとして実施しているわけですから、何度も見返してみるのは意味のあることです。

資産の有効活用とも言えます。

「意外にいいこと言っているなあ」とか「まだまだ考えが甘かったなあ」とか、そんなことを思ったりもします。

また、数年前の自分自身の姿とはいえ彼我の差をみることにも意味があると思いました。コレが二点目。

ここでの彼我の差というのは、自分自身の知的な側面での成長の軌跡でもあるわけです。そうえば、この時期こんなことで悩んでいたな、今だったらさらっと乗り越えられるのになんて思ったりもします。

中には「この人は素晴らしい。将来伸びるに違いない」とか「これは間違っている。長続きはしない」などと予想めいたこともコメントしてたりしますが、結果が出ているものもあり、そのときの考えを検証することもできます。

あとは、二点目とは矛盾するようですが、過去の自分に教えてもらっている、とすら感じる部分もたまにあります。

この三点目が最も意外でした。

自分自身は日々成長前進しているつもりです。それが証拠に二点目で自分の成長実感のことを書いているわけですから。

一方で日々の雑事に流される中でつい忘れてしまっていることや、余裕が無くて気を配れていないコトに対して、過去の自分が

「をいをい、キミキミ、ちょっとちょっと」

と、指導してくれているみたいな感覚になります。

本稿の性質として、自分の仕事の中で課題解決を通じた気付きを備忘録的に書いているという側面があります。

すなわち、うまく行かないことを工夫してなんとか前進させた、という類のものがおおいため、表現を変えれば自分が陥りやすい悪い状況や、失敗などから教訓を得ているところがあるわけです。

したがって、気を張っていないとつい同じ失敗をしてしまうという展開になりやすい。なので、時々慌ただしい中で振り返ると、

「あ、そうだった。ここで主張していることを、今この瞬間、自分自身が実行できてないや」

なんて思うことが多いわけです。

なんか、昔の写真を振り返ったり、昔の仕事の資料を見返したりすることにも似ているな、って思いました。

「若いなあー」からはじまりつつも、「初心に返って」とか「そういえば忘れていたよ、この感覚」などと改めて昔の自分に教えてもらった、というような。

(日記って、小学校の宿題以外に自分の意志で書いたことがなかったのですが、同じような効果があったりするんですかね。しばらくして振り返るのであれば結構効果の高い教育手段だったりするのではないか、なんて思いました)

皆さんはどう思われますか?

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東急線二子玉川駅から

 

手垢のついた言葉の深いヤツ

こんにちは

ヒーローインタビューから

先日、オリパラのピョンチャン大会のテレビ放送を見ていて、子どもがこんなことを言いました。

「なんで、メダリストはインタビューで『支えてくれた、全ての人に感謝』って口を揃えていうのかな」

なるほど。

僕も若い頃、こんなこと考えてたな、と思い出しました。

スポーツで何かを成し遂げたひとや、きびしい選挙戦を戦って当選した人なんかがコメントする「感謝の気持ち」というものに対して、つい「よそ行きのコメント」「優等生コメント」という解釈を少なからずしていたのです。

でも今では少しだけ、何かやり遂げた人が口に出す”一般的な”感謝の言葉の言葉の重みがわかる気がします。

何かを一生懸命頑張ってみて、自分でできることはほとんど試してみて、さらにそれでも間に合わないときに、誰かの支援があったとき。それが、どれほどありがたいか初めて分かるわけですからね。

僕のような凡人には経験を通してしか分からないことってあるのです。

「手垢のついた言葉」の重み

この『支えてくれた、全ての人に感謝』というようなコメントを、あえてここでは「手垢のついた言葉」と呼んでみます。

チームスポーツの選手がよく言う「メンバーを信じる」というコメントも同様です。

メンバーを信じることがどれほど大変か、つらい時にメンバーを疑ったり、失敗を他のメンバーのせいにしそうになる時を幾度も経験しないとその言葉の重みは分かりません。

だから、経験が浅いときには「表面的な言葉」とだけ、映るのです。

 他にも「子どもを信じる」なんて言葉も、思春期の子どもをもって改めてその言葉のおもみを噛み締める毎日です。

手垢のついた言葉、っていう意味では「イノベーション」なんて言葉も、駆け出しの頃はよく使ってましたが、その言葉の重みを理解するにつれあまり使えなくなりました。でも最近、その言葉をさらに深く理解した気がしたので、自分なりに意味を持たせて使う頻度を上げてきたような気がします。

それに気付くと、人の見え方も変わってきたりします。意味を持たせて強い思いで発信している人の言葉が理解できるようになります。

同時に、それまでの自分の未熟さを痛感したりします。

コレに類する言葉って、まわりにあふれてますよね。

言葉って、使い方や状況などで重みが変わります。

たとえ「手垢のついた言葉」でも、重みを持たせてつかえる大人になりたいものです。(とはいえ、こだわりすぎると無口になっちゃうので、ペラペラしゃべりますが!)

こんなこと、考えたことありませんか?

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