新社会人の皆さんへ

こんにちは。

4月ですね。

今年も日本の新卒一括入社の季節がやってきました。

4月1日が日曜日ですので、多くの人が4月2日に入社式を迎えられるのでしょうかね。一昨日の3月30日の金曜日に会社を出る時にIBMの一階のフロアでも準備が行われていました。

新社会人の皆さん、ようこそ!

どうしても自分の時のことを思い出してしまいます。

そのころには存在すらしていなかったGoogleの作ったGoogle Home miniに尋ねたら1997年の4月1日は火曜日だったそうです。

その日に僕は社会人になりました。そのときに着ていたYシャツは今でも持っていて、その後20回ほど通過してきた4月1日に着たりしています。形は旧いですがまだ着られます。

20年以上に及ぶ、失敗したりうまく行かなかったりした経験の中から、参考にしてもらえることは無いかな、なんて考えて書き始めてみました。(順不同)

  1. 誰しも、新しい世界に飛び込む時は期待と不安の両方の気持ちを持つものです。どちらも成長のためには必要なことです。特に不安の方は不快に感じるのではなく、成長の前触れとして是非たのしんでみてください。
    (あなたの目の前の先輩も全員が通ってきた道だし。)

  2. 新社会人って、職場でいろんな意味で目立ちます。たくさんの人が寄ってくると思います。そんでもって、いろんな「ご助言」をくれると思います。その人自身のために近寄ってくるのか、あなたのために近寄ってくるのかは見極めが重要!
    (経験的には、本当に有益な助言をもたらしてくれる人は、最初は少し遠巻きにあなたを眺めていることが多いです)

  3. 「石の上にも3年」は仕事を覚える上では、ある程度真実だと思います。

  4. 仕事を依頼されたとき、法律や倫理、信義に悖ることを強制された場合以外は、たとえ納得いかなくてもまずやってみることをお薦めします。違和感あることを体験してみるのは視野を広げるいい機会かも。

  5. 働き方改革」ってのを誤解しないように。減って行くこの国の人口でも成長をするための”生産性向上”のための重要な施策です。早く帰るための施策ではありません。

  6. 「素直さ」は若い頃の数少ない武器だったりします。ちょっと不器用でも素直な人が、かなり器用で(素直じゃなくて)当初先頭を走っているように見える人を追い抜くのは、意外に時間がかからないものです。 
  7. 「キャリアビジョン」というやつを今の時点であなたが持ってなくても、気にすることはありません。あった方がいい、というだけです。40歳までに持ってなかったら、立ち止まって考えてみればいいです。
  8. もし「誰かのために」って思える仕事があったら、それは最も幸せなことです。つきすすんでください。でも、今の時点でそう思える仕事が無くても気にしないでください。30歳までに経験できなかったら立ち止まって考えてみましょうか。
  9. 今まで育ててくれた人に感謝しましょう。そして、それを伝えましょう。今がいいタイミングです。僕はタイミングを逃して今まで来ちゃった。
  10. (ここまで書いてみて思ったけど)年をとると説教っぽくなりますね。そういうものだと思ってください。いつか分かるから!
    そして、次の世代に伝えてあげてください。気が向いたらでいいです。

さて、現場でお会いしましょう!

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ログを振り返ることの意味

こんにちは。

過去ログを振り返る作業

最近、当ブログを振り返って毎日一本ずつ読み直すという作業をしています。

もともとは、バラバラと書いていたものをカテゴライズするために始めた作業でした。一本ずつ編集モードにして、同時進行で作った「チーム」「リーダーシップ」などというキーワードにタグ付けして分類しているのです。

その作業だけを一気にやってしまうと負担感もあるし、面白くないので一日一本ずつ実施し、その際にコメントを加えて改めてSNSで共有する、という作業に置き換えてみました。

そこで、幾つか思わぬ収穫がありました。大きく3つくらいでしょうか。

思わぬ収穫

まず、何よりも一点目は、自分が過去考えたことを霧散させず、改めて蘇生できること、ですね。

タイムラインなどで流れて行ってしまうのを防ぐためにストックとして実施しているわけですから、何度も見返してみるのは意味のあることです。

資産の有効活用とも言えます。

「意外にいいこと言っているなあ」とか「まだまだ考えが甘かったなあ」とか、そんなことを思ったりもします。

また、数年前の自分自身の姿とはいえ彼我の差をみることにも意味があると思いました。コレが二点目。

ここでの彼我の差というのは、自分自身の知的な側面での成長の軌跡でもあるわけです。そうえば、この時期こんなことで悩んでいたな、今だったらさらっと乗り越えられるのになんて思ったりもします。

中には「この人は素晴らしい。将来伸びるに違いない」とか「これは間違っている。長続きはしない」などと予想めいたこともコメントしてたりしますが、結果が出ているものもあり、そのときの考えを検証することもできます。

あとは、二点目とは矛盾するようですが、過去の自分に教えてもらっている、とすら感じる部分もたまにあります。

この三点目が最も意外でした。

自分自身は日々成長前進しているつもりです。それが証拠に二点目で自分の成長実感のことを書いているわけですから。

一方で日々の雑事に流される中でつい忘れてしまっていることや、余裕が無くて気を配れていないコトに対して、過去の自分が

「をいをい、キミキミ、ちょっとちょっと」

と、指導してくれているみたいな感覚になります。

本稿の性質として、自分の仕事の中で課題解決を通じた気付きを備忘録的に書いているという側面があります。

すなわち、うまく行かないことを工夫してなんとか前進させた、という類のものがおおいため、表現を変えれば自分が陥りやすい悪い状況や、失敗などから教訓を得ているところがあるわけです。

したがって、気を張っていないとつい同じ失敗をしてしまうという展開になりやすい。なので、時々慌ただしい中で振り返ると、

「あ、そうだった。ここで主張していることを、今この瞬間、自分自身が実行できてないや」

なんて思うことが多いわけです。

なんか、昔の写真を振り返ったり、昔の仕事の資料を見返したりすることにも似ているな、って思いました。

「若いなあー」からはじまりつつも、「初心に返って」とか「そういえば忘れていたよ、この感覚」などと改めて昔の自分に教えてもらった、というような。

(日記って、小学校の宿題以外に自分の意志で書いたことがなかったのですが、同じような効果があったりするんですかね。しばらくして振り返るのであれば結構効果の高い教育手段だったりするのではないか、なんて思いました)

皆さんはどう思われますか?

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東急線二子玉川駅から

 

手垢のついた言葉の深いヤツ

こんにちは

ヒーローインタビューから

先日、オリパラのピョンチャン大会のテレビ放送を見ていて、子どもがこんなことを言いました。

「なんで、メダリストはインタビューで『支えてくれた、全ての人に感謝』って口を揃えていうのかな」

なるほど。

僕も若い頃、こんなこと考えてたな、と思い出しました。

スポーツで何かを成し遂げたひとや、きびしい選挙戦を戦って当選した人なんかがコメントする「感謝の気持ち」というものに対して、つい「よそ行きのコメント」「優等生コメント」という解釈を少なからずしていたのです。

でも今では少しだけ、何かやり遂げた人が口に出す”一般的な”感謝の言葉の言葉の重みがわかる気がします。

何かを一生懸命頑張ってみて、自分でできることはほとんど試してみて、さらにそれでも間に合わないときに、誰かの支援があったとき。それが、どれほどありがたいか初めて分かるわけですからね。

僕のような凡人には経験を通してしか分からないことってあるのです。

「手垢のついた言葉」の重み

この『支えてくれた、全ての人に感謝』というようなコメントを、あえてここでは「手垢のついた言葉」と呼んでみます。

チームスポーツの選手がよく言う「メンバーを信じる」というコメントも同様です。

メンバーを信じることがどれほど大変か、つらい時にメンバーを疑ったり、失敗を他のメンバーのせいにしそうになる時を幾度も経験しないとその言葉の重みは分かりません。

だから、経験が浅いときには「表面的な言葉」とだけ、映るのです。

 他にも「子どもを信じる」なんて言葉も、思春期の子どもをもって改めてその言葉のおもみを噛み締める毎日です。

手垢のついた言葉、っていう意味では「イノベーション」なんて言葉も、駆け出しの頃はよく使ってましたが、その言葉の重みを理解するにつれあまり使えなくなりました。でも最近、その言葉をさらに深く理解した気がしたので、自分なりに意味を持たせて使う頻度を上げてきたような気がします。

それに気付くと、人の見え方も変わってきたりします。意味を持たせて強い思いで発信している人の言葉が理解できるようになります。

同時に、それまでの自分の未熟さを痛感したりします。

コレに類する言葉って、まわりにあふれてますよね。

言葉って、使い方や状況などで重みが変わります。

たとえ「手垢のついた言葉」でも、重みを持たせてつかえる大人になりたいものです。(とはいえ、こだわりすぎると無口になっちゃうので、ペラペラしゃべりますが!)

こんなこと、考えたことありませんか?

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人は年をとる。認めたくないが…

こんにちは。

メジャーリーグのニュース

今週は、野球選手のイチローさんがシアトル・マリナーズに復帰するというニュースが流れました。

個人的に思うこととしては2つほどありました。

まず、古巣に戻るというというのは自分でもやったことがあるのですが、少しあの頃が蘇りました。

もちろん、レベルが違うのはよくわかっていますがね…

流れてきたマリナーズの30秒動画でイチロー選手が古巣のファンに歓迎されているのが良くわかりました。

Mariners on Twitter: "People throughout the Pacific Northwest rn… "

戻ることって、いろいろ思うことあります。そして、いずれ遠からずもう一度去らなければならないのも分かってます。

そんな時に歓迎してもらえるのは、心から嬉しいものです。

もう1つは、何を隠そうイチロー選手と僕は昭和48年生まれで同いどし。誕生日も一週間くらいしか違いません。今年45歳になります。

この歳になると、同い年の人がトップスピードで走ったり投げたり飛んだりしているのを見るのは、心強いものです。

彼は入団会見の中で最低50歳までは現役を続ける宣言をしてました。まだまだ自分も老け込んではいられない、と思います。

とはいうものの、確実に年齢は重ねているのも事実。

いかに、年をカバーできるようなメンテナンスや体との付き合い方を経験とともに学ぶか、というところがポイントなんだろうと思います。

加齢による「なんとか痛」

実は昨年の秋にカバンを変えました。本稿でも別の文脈でご報告しています。

eitarokono.hatenablog.comこのカバンをこの数ヶ月持ち続けていたところ、どうやら持ち方が悪かったらしく、右の肘がいわゆる「テニス肘」になってしまいました。

多少重いものは、筋トレついでになる、なんて思ってPC他たくさんの荷物を入れていたため、加えて右手だけを使っていたため、というのが原因です。

整形外科では「当面右手を使うな」ということでした。それに従って左手ばかりを使っていたら、今度は腰にきました。

ということで、正直ちょっと年を感じて弱気になる日々でした。

発想の転換で一瞬で解決

ですが、今までの発想を変え信頼できる人のアドバイスに従ったことで、一瞬で根本解決したのです。

解決策は、リュックの導入です。

実は今まで、リュックはビジネスにおいてはあまりにカジュアルである、というポリシーのもと20年以上避けてきました。

(今のチームでは僕は超マイノリティーでして、僕だけがビジネスバッグを使っていました。)

今まで頑なに主張してきたという世間体もあり、かなり迷ったのですが、背に腹は代えられません。44歳にしてリュックの導入です。

新宿伊勢丹のメンズ館が充実している、と聞いたので行ってみたところ、ものすごい展開をしていました。

驚きました。

いろいろ見てみると機能と見た目の両方でかなりのレベルのものが揃っていました。

そして、その中でもmasterpieceという関西のブランドのものにしました。(写真参照)

とうとう我がチームの全員がリュック愛用者になった瞬間です。

で、効果は、というとリュックにしたその朝にはまだ腰痛だったはずなのですが、その日の帰りは気にならなくなり、翌日には治ってました。

慢性的に痛みを持っている肘も、今まで良くなる兆しが全くなかったのに、嘘のように痛みが引いてきています。

なんじゃそれ。って感じです。

両手が自由になったことで歩いて移動しながら折り畳み傘を開いてさせるとか、なんとなく若々しい気分になる、とか想定外のメリットもありました。

イノベーションとか、発想の転換とかいろいろ偉そうに発信してましたが、灯台下暗しというか、身近なところにやるべきことがあったことを痛感しました。

柔軟性が無いのは自分だったんじゃないかと。

まあ、人生こういうことの繰り返しでしょうかね。

当然ビジネスバッグはビジネスバッグでその良さがあります。体が落ち着いてきたら、時と場合によって使い分けて行こうかな、と思っています。

スーパースターの帰還のタイミングで、こんなことを考えた数日間でした。

イチロー選手の大活躍を期待します。

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自分たちの責任は自分たちで 〜それぞれの世代はこの曲をどう聞くのか〜

こんにちは。

今回はおなじみ感情系投稿です。

機内プログラムで聞いた浜省「J. Boy」

先日日帰り国内出張で全日空の飛行機に乗りました。

いつも習慣的に音楽プログラムを聞くのですが、その中でも最近は八嶋智人さんがパーソナリティをやっているAround the 80'sという読んでそのままのプログラムを聞きます。

要するに僕はこのプログラムのドンピシャターゲットなわけです。

で、その中に浜田省吾の”J. BOY”という曲がありました。

パーソナリティの八嶋さんの語りによると、これはJapanese Boyの略で当時の日本のサラリーマンたちを指したものだそうです。

1986年の作ということで、右肩上がりのバブル前夜の時代の、働く人たちの苦悩を代弁したようなメッセージソングである、と。

歌詞はこんな感じです。↓

http://j-lyric.net/artist/a0011b4/l003ad8.html

YouTubeにはこんな感じで載ってます。↓

浜田省吾 『J.Boy (ON THE ROAD 2011 "The Last Weekend")』 - YouTube

実はこの曲は初めて聴いたのですが、世代的にも好み的にも僕にヒットする曲でした。

それだけではなく、歌詞を聞いていて思ったことが少しありました。

もっとも意外だったのは、上り調子でお金もたくさんあった時代だったはずなのに、それなりに辛そうな曲調や歌詞であったこと。

時代の雰囲気を反映して、すごくゴージャスな感じの曲が多い印象がありますが、働く人たちに近い題材になると状況は少し違うようですね。

今でこそ「バブルの頃は良かったね」とか「バブル世代だから」、「バブルの時に踊ってしまった」という文脈で、「過去の栄光」や、逆に「諸悪の根源」的な語り方を(少なくとも)僕はしてしまうのですが、この曲を聞くにつけ、当時のJ. Boyたるビジネスパーソンの皆さんは大変な思いをしながら、色々矛盾や悩みを抱えつつ、身を粉にして働いていたんだな、と改めて思ったのです。

当時もかなり支持された曲だったようですので、同じような感覚を投影する人は多かったのでしょうね。

団塊ジュニア世代の僕としては…

当たり前のように自分以外の誰かから与えられた”明確な”目標のもと、家族や友人よりも仕事を優先するのが当然という時代だったはず。

夕方に男性社員が「保育園にお迎えに行きます」なんて言おうものなら大変なことになっただろうな、とか。

ネットもスマホもないから「今日は家で仕事しまーす」なんて言えないし。

海外とのやりとりも気軽にメールで資料送るから電話会議しよっか、って感じではできないし。

そして、何よりも強く感じたのは、そんな自由な働き方が今できるのは、”J. Boy”たる先人たちが精一杯いろんなところを開拓してきてくれたからなのは間違いないな、と。

だから、あったりまえですが、僕たち世代はいまの問題を少しでも解決して次の世代に繋いでいかないとダメだな、って思ったわけです。

つい、「逃げ切った世代」とか「バブル世代」とか、自分たち以外の世代のせいにして溜飲を下げるだけに終始するのはやめようかな、とも。

まあ、もちろん守るべき伝統は守るし、先人の知恵や歴史に学ぶことは前提ですけどね。

皆さんはこの「J. Boy」とう聴きますか?

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ゆとりの轍を踏まない、働き方改革世代の時間の使い方

こんにちは。

以前(だいぶ以前)、テレビでこんな光景を目にしました。

ゆとり教育”の影響

通称”ゆとり教育”の振り返り番組だったと思うのですが、その教育を受けた世代に該当すると思われる若者が、”大人”に向けて

「ゆとりで育ってしまった私たちは、どうすればいいのですか」

という質問をしていたのです。

それに対して大人が、答えに窮しているように見える演出でした。

家庭や学校の現場が、当時の文部省の意図とは少し異なる動きをとってしまった結果、十分な知識を得ることなく、とはいえ「生きる力」も不十分なまま義務教育を終えた、というこれまた意図せざる効果が出てしまった、と言うことで理解しました。

一方で、講演などで人前でお話しするような機会に「ゆとり世代」と言う言葉は安易には使わないようにしています。

「世代」でステレオタイプで区切ることは、何かを言い表してはいますが、その世代全員を説明しているわけではありませんからね。

事実、文部科学省の当時の方針とは関係なく、多くの知識の上に立った上で考える力を養うという方針で、教育を続けた私学や民間の教育機関を通じて学んだ児童・生徒、学ばせた保護者も多いようです。

その教訓を今に当てはめると

上記の分析は、いずれもデータに基づかない、僕の持つ印象にすぎない解釈ではありますが、大枠正しいとして、この経験から次のようなことを考えました。

同じことの繰り返しが、今の日本の職場で行われている「働き方改革」でも起こってしまわないよう注意する必要があると思うのです。

「働き方改革」についての政府の意図を僕が解釈すると、

  1. 低い生産性でダラダラ仕事するのではなく、高い生産性で効率よく仕事をしましょう。人口減ってるんだし、高齢化してるんだし。
  2. とは言っても成長はしなきゃなんだから、浮いた時間で何か他に生産的なこと、しましょう。(人生百年時代に備えたリカレント教育とか、起業とか、複業とか)

と言うものです。

あたりまえですが、単に今までと同じやり方を続けて、早く帰るんじゃあ、投入時間が減った分成果が下がるだけですからね。

さらに、全てが無駄な仕事や非効率な職場ではないのは明らかなので、一律に時間を減らすのはキャリアの浅い人の「スキル育成」の機会を奪っているともいえます。

間違っても後から

「働き方改革世代の私たちは、大事な時期にスキル獲得できませんでした。どうしたらいいんですか?」

って言わせることの無いようにしないといけません。

ただ、すでに社会に出ている人たちは、児童・生徒と違って保護者がいません。

時間の使い方は全て本人に責任があります。

というか、本人が自由にできる権利があります。

この「政府からプレゼントされた時間」をどのように使っていきましょうか!?

まさか、早く帰れるからと言って遊んでばかりいる人はいないでしょうけれど、一方でもっともっともっと本が売れたり、社会人大学院に行く人が増えたりしてもいいんじゃないかなぁ、って思います。

みなさんはどう思われますか?

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性格によっては、まずはやってみることが重要だったりする

こんにちは。

ふとしたことから、10年以上まえの職場でのある出来事を思い出しました。

僕がまだ、いわゆる「現場の元気な若手」だったころのことです。

とある作業依頼の会話

メンバーの方(仮にAさん)に「XXをやっておいて頂けませんか?」と作業依頼した時のこと。

 

Aさん「それをやるには、増員が必要です」

僕「え?そんな感覚はありませんが」

Aさん「いま、いろいろやることがあるし、対応は不可能です」

僕「Aさんがやるとしたら、どれくらいかかりそうですか?」

Aさん「かなりかかります」

僕「あの、かなり、ってどれくらいでしょうか?時間とか人日で答えて頂けるとたすかります」

Aさん「今すぐ、そんなこと言われても困ります」

僕「見積もりは作業計画の基本です。一旦増員すべきかの判断のためにもラフでいいのでタスクを整理して、作業時間を見積もってもらえますか?」

Aさん「わかりました。明日までに見積もります」

 

なんとなく、イヤな予感がしますよね。

なのでこのときは、すぐに自分でやりました。作業は1時間程度で終わりました。

 

翌日Aさんから上がってきた作業見積はエクセルにシンプルな表で纏められたものでしたが、14人日(14営業日=約3週間分)の作業見積もりでした。これが本当なら増員が必要ですよね。

 

僕「おそらく、こうなるだろうと思って昨日のうちにやっておきました。ちなみに1時間で作業を終えられました」

Aさん「...」

人は外部刺激に対して過剰に反応しがち

これ、本当にあった話です。

つい、人は外部から与えられた刺激に対して過剰に反応しがちではないでしょうか。

その人の性格によりますが、物事を大きくとらえがちな人は特に、考えるより生むが易し、というケースが多いです。

僕もどちらかというともともとは、物事を大げさにとらえる方でした。

ですので作業も多めに見積もったり、着手する前は必要以上に負担に感じる傾向がありました。

ただ、いろいろ経験するにつれ、世の中の大抵のことというのは、やってみると極端な話、想定していた時間や労力の10分の1ですんでしまうことの方が多いことが分かってきました。

以来、つとめて楽観的に物事を見るように行動を変えるよう努力しています。

そして、そうすることによって、いままで避けていたことも特に逡巡せずとりくむこともできるようになりました。

「まずはやってみる」て最もシンプルでイージーな解決策だったりします。

もし今、なんか迷っていることや、積み残していることがあったら、 やってみてはいかがでしょうか?

皆さんはどう思われますか?

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