「怒る」はビジネス用語か? 〜親子関係からプロ同士の関係へ〜

 こんにちは。

部下に「怒る」ことはありますか?

以前、リーダーシップの講演をしたあと、懇親会にも呼んで頂いたことがありました。

その中で受講いただいた複数の方々から質問をいただきました。

講演のQ&Aのなかで僕が

「メンバーを怒ることは絶対にするべきではない」

「子どもに対しては怒るけれども、会社の仲間に対して怒ることは通常の状況下ではあり得ない」

と回答したことに対する疑問あったというのが、その背景です。

営業リーダーの方々が受講いただいた方々の主要メンバーだったのですが、メンバーを「怒る」ことは日常であるし、それを通じて人を育成してくしか方法が無い、ということでした。

①「怒らなくて、どうやったら人が動くのか?」

②「全然成果が上がらない人がいても怒らないのか?」

③「怒る関係の方が信頼していると言えないか?子どもに怒るというのはそういうことではないのか?」

というのが質問のサマリーです。

怒ることには何の意味も無い

これに対して、以下が僕の考え方です。

  1. 前提として、部下・メンバーたる相手は誰かの保護対象となっている「子ども」ではなく、給料を貰っている「プロフェッショナル」である。➡すなわち、一定の責任を担っている。
  2. 一方上司・リーダーは、メンバーの保護責任者の任は果たし得ない。➡キャリアの責任を負うことはできない。自分の元を離れてしまったら、影響力を及ぼすことはできない。
  3. 「怒る」ということは、「強制的に」動かそう、言うことを聞かせよう、という意図の現れであって、プロフェッショナルが内発的に動くことには繋がらない。
  4. 見方を変えると、「怒らなければ」動かないメンバーは、プロとしてその組織に存在する意味は無い。
  5. つまり「怒らなければ」動かないメンバーに対しては、本人のためには別の場を提案するのがリーダーの責任である。➡その場が適切な場ではないため、別の場で活躍することの方が本人のキャリアにとって有効なわけである。
  6. 「怒る」労力があったら、理を尽くして動いてもらうためのロジックを考えるべきである。それが有効でないなら、冷静に淡々と「切ってあげる」方が本人のためである。
  7. 結論として「怒る」というというのは、自分が相手よりも親のように上回っているという前提に立った「思い上がった」行為であり、また相手が本来の能力を発揮できる別の場所で働いて機会を得るチャンスを潰している「卑劣な」行為である。

怒るのには労力が要ります。一方で全く効果がありません。むしろ逆効果。だったらやるメリットは誰にとてもありません。

「怒る」はビジネスの辞書には無い

上記の①〜③に対しての答えとしては

①’理を尽くし、伝え方を工夫して説明することで、納得の上動いてもらうべき。

②’怒らない。成果が上がらない人には怒るのではなく、別の場を提供するべき。リーダーはいちいち怒ってあげるほど暇ではない。

③’「信頼しているから」怒るのではなく、身分制度時代の思考の世界で思い上がっているから怒るのである。怒っていいのは物心つく前の子どもに対する保護責任者だけ。

つまり、「怒る」というのはビジネス用語ではないわけです。

もちろん、組織によっては「怒る」ことでマネジメントしてきた歴史もあるでしょう。しかし時代は変わっています。少しでも近代化するべくリーダーが行動を変えて行くべきではないかと思っています。

これからの世の中、怒らずに人に「動いてもらう」スキルをつけてない人はリーダーになるべきではありません。

これについて皆さんはどう思われますか?

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西施(せいし)の顰(ひそみ)に倣(なら)う 〜ヒンシュク(顰蹙)の語源〜

こんにちは。

初めて繋がったヒンシュクの語源

7月30日付けの日経新聞「遊遊漢字学」の欄でヒンシュク(顰蹙)の語源についてのコラムが載っていました。

このヒンシュクという言葉、もとは「西施(せいし)の顰(ひそみ)に倣(なら)う」という表現が起源なのだそうです。

「西施(せいし)という美人が、病のため顔を顰(ゆが / ひそ)めるのが美しかった。それをまねて顔を顰める人がいたが、逆効果だった。なんでもかんでもマネをすればいいものではない」という故事がもとです。詳しくはこちら

コラムの文脈としては、もともと語源となった故事としては、現代で言えばセクハラに当たるような内容であるが、それを知らない現代人は日常的にこの「ヒンシュク」を使っている。(そんなことを言ったら、それこそヒンシュクかな...)というオチがついた内容でした。

この何でもかんでもマネをすればいいものではない、という意味の方の「西施の顰に倣う」という表現を知ったのは、恥ずかしながら実はつい最近のことで、福澤諭吉著の「学問のすゝめ」を現代語訳した時に出てきたため、調べたのが切っ掛けです。

学問のすゝめ全17編のうち、15編で出てきて、ここでの文脈的には

「文明開化の後の昨今(学問のすゝめ出版当時)、西洋かぶれがちまたにあふれている。西施の顰に倣うというが、なんでもかんでも真似すりゃあいいってもんじゃない」

というものでした。

当時は、脱亜入欧論(アジアから抜きん出て、欧米列強に伍するようになるべき!)の最右翼のように思っていた福澤諭吉なのに、その印象が覆された、という意味で印象に残りました。

今回、この日経のコラムを読んだことで、さらにこの「西施の顰に習う」は「ヒンシュク」という言葉の元になった表現であることを知りました。

極端な二元論はヒンシュクもの?

ちまたでよく出会う「なんでもかんでも論」ないしは「極端な二元論」というのは、「ヒンシュク」なんだな、って紀元前の人も知っていたんだな、という意味で今回すごく印象に残りました。

「なんでもかんでも、欧米流の経営スタイルが正しいって分けではない」という主張をしながら、つい「日本の方が常に正しい」と思ってしまっていないか。

働き方改革なんだから、なんでもいいから早く帰れ」なんてのも、いい例かもしれません。

綱に目的に対して合理的に考えないと、それこそヒンシュクものなんだな、ということを考えた朝でした。

皆さんはどう考えますか?

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個人メドレーの順番をご存知ですか? 〜ルールは実態に合わせて変えるもの〜

こんにちは。

始まりましたね、世界水泳

もと競泳選手としては楽しみです。とはいえ早寝早起きの僕としてはハンガリーとの時差は若干中途半端です。朝のニュースを楽しみに。

個人メドレーの種目順をご存知ですか?

ところで、競泳選手にとっては当たり前の知識ですが、オリンピックや世界水泳でしか水泳に接点の無い人からすると「個人メドレー」の種目順を知らないのが普通なのではないでしょうか。

実は、

①バタフライ

②背泳ぎ

③平泳ぎ

④クロール

の順番です。

さらに難易度が高いのが、メドレーリレーの順番です。

これは正答率が相当低いと思われます。

①背泳ぎ

②平泳ぎ

③バタフライ

④クロール

が正解です。

メドレーリレーが何故個人メドレーの順番じゃないのかというと、背泳ぎのスタートの特殊性が一つの理由です。

背泳ぎは飛び込めないため、水中からスタートを切ります。

スピードを重視すると、個人メドレーの時は二番目以降入れるしかありませんが、メドレーリレーの時は前の泳者とぶつかるため、第二泳者以降にすることができないため止むなく第一泳者になるわけです。

意外だな、というのが感想なのではないでしょうか?

ルールって柔軟。目的に応じて変えていい

このルールを小学生時代に初めて知ったとき「えらい柔軟なルールだな」と思ったのを覚えています。

当時の僕の感覚として、いわゆるルールってものは、理由を付けて同じ順番にしそうなものだという前提があったのです。

以来「ルールってものは、目的に応じて変えればいいんだよな」と主張する時に思い浮かぶのがこのエピソードです。

これ、たとえ法律であっても、当てはまると思うのです。

変えなければいけない(変えた方が良い)理由があり、それが社会通念上問題ないものであれば、手続きさえ踏めば法律は変えられるべきものなのだと思います。

ただし、この手続きを踏むことが手間や、場合に寄っては勇気を必要とするのですが。

福澤諭吉も「学問のすすめ」の第六編の中で、同じようなことを言っています。

ましてや、会社のルールなどはさらに手続きも簡単ですよね。

なので、実態に合っていないルールが存在していて、不都合を生じているのであれば、「そういう決まりなんですよ」とか「それは、○○法に違反している」とあきらめるのではなく、変える方に動くのが未来志向の考え方なのだと思うのです。

皆さんはどう思われますか?

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濃尾平野を望む>

伝統と革新 〜働き方改革とはエセ「伝統」に立ち向かうことでもある〜

こんにちは。

伝統は守ることだけに意義があるか?

今を遡ること20年以上前。六大学水泳大会に選手として参加した時のことです。

開会の挨拶に立たれた他学の先生が「伝統とは、守ることだけに意味があるのかもしれない」という主旨のお話をされました。

当時の僕は「そんなもんかな」と思うとともに、自分たちが背負った水泳部100年以上の伝統は守っていこうと思ったものでした。

一方で、先日京都吉兆総料理長の徳岡さんが参加されたパネルディスカッションを拝聴する機会があったのですが、出汁の取り方などのレベルでさえ、常に革新を追求されている姿勢が明確にありとても印象的でした。

この瞬間、自分の中で伝統とはどういうものか説明ができなくなっているのに気がつきました。

日本の組織の非効率の原因

講演で最近よく、日本の「働き方改革」の本質は「ホワイトカラーの生産性の向上」であるということを申し上げます。

では日本において生産性の阻害要因になりがちなのはなんでしょうか?

僕はあえて、行き過ぎた「気遣い」や「礼儀」が一つの原因なのではないかと思っています。

「部長、お忙しい所大変申し訳ありません。今お時間宜しいでしょうか?」

「あー、ごめん、あとにして」

なんて会話、身近にありませんか?

あとにしてと言われて、あとにしたら部長は外出直帰。あしたから2週間海外出張。。。なんてコトになったりします。

ご覧になってわかるとおり、この情報のやり取りの間には、部下と思われる側からの提供情報の中に、仕事の優先順位や作業にかかる時間にかかわるものは一切ありません。

これに対して「部長」は「あとにして」という判断を下しています。

これが典型的な「礼儀優先」の会話です。

では、こんな会話はどうでしょう?

「ねー、部長、ハンコよろしく。支払い支出承認の件」

「おっけー...はい。いっちょあがり。あと、よろしく」

2分で終了です。

唯一「礼儀」というやつだけがなっていませんが、それ以外は完璧です。

古来日本で重視された「礼儀作法」というやつだけ取り払えば、2週間後に達成されたかどうかすら怪しい仕事が2分で終了するわけです。

こんな背景から、分かりやすい表現でよく申し上げるのは

働き方改革とは、上司を今までより粗末に扱うことなのです」

ということです。

言い方を変えれば、儒教的な「目上は敬うべき」という考え方から来る変なプライドや「伝統的な礼儀」へのこだわりを捨てられた上司をもつチームが生産性の高いチームになる可能性があります。

「専務、僕は客先に直行なので、申し訳ありませんがプロジェクターを会社から車で運んでもらえませんか?」

っていえる組織は、いろいろ効率的な気がしますよね。

礼儀が非効率なら、伝統は悪か?

では、話題を元に戻して、この観点から「伝統」は百害あって一利無しなのでしょうか。

僕の現時点の意見としては「目的に対して合理的であるべき」というものです。

それに合致しているのであれば伝統は守るべきだし、合致していなければ変えて行くべきものなのだろう、と。

これに関連して思うことがあります。

茶道の作法です。

以前お茶の師範のかたから「素人」としておもてなしを受けた経験があるのですが、「この動きはどういう意味があるのですか?」という問いに全て回答いただけました。

礼儀優先と思われがちな茶道の作法は、どの一挙手一投足をとっても「なんで?」に対して説明できます。すなわち目的に対して合理的なのです。

もちろん、ここでの「説明」には「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」というレベルのものは含みません。

よく考えられた「伝統」は、意外に目的に対して合理的なんだと思います。

一方で、特に考えもなく実施されている「習慣」を「伝統」と呼んでいるだけのものは、「そんなの常識だろう」「そりゃあ、部長がえらいからだ」以上の説明ができません。

ですから状況に即して変えて行くべきものなんでしょうね。

社会的な存在として利益を上げながら顧客の満足度を高める、という使命をもった企業は、社内の先輩、上司の単なるわがままや自己満足を、顧客満足や株主価値、社会課題より優先していいはずはありません。

これでは目的に対して非合理です。

 先輩や上司、経営陣への過剰な礼儀、見直してみるとだいぶ働き方も変わってくるのではないでしょうか。双方の歩み寄りが必要ですよね。

皆さんはどう考えますか?

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つながる感謝、つなげる喜び

こんにちは。

東京は暑いです。夏本番ってやつですね。そんな中、今週末は二日とも稼働しました。

さて、今週もブログ参ります。

繋いでもらって生まれる新しい価値

最近、個人的にライフワークにもなってきた発信活動を通じて、多くのつながりが増えてきたと感じます。

加えて、SNSの存在がその繋がりを発展しやすくしているように思います。

そんな関係の中で、人と人をつなぐことで世の中に良い影響を与えている人にもお会いする機会が増えてきました。

その方々は、なぜか僕のニーズを知っていて(なんでわかるんだろうか)、この人、という人と繋げてくれたりします。

僕が嬉しいだけではなく、繋がった相手も意外に喜んでくれたりして、新しい価値が生まれたりするのです。

繋いでくれた人に話を聞くと「いやー、ただね、こことここ、つながると面白そうだと思って」という感じで、恩着せがましくないのが特徴です。

人と人をつなげる喜び

ちょっと前までは「そんなもんかなー」程度の理解で、単純に「繋げてくれてありがとう」という感謝の気持ちだけだったのですが、先日ちょっとしたきっかけがあり、立ち止まって考えてみました。

そしたら、最近ネットワーク間で人と人を繋いでいる役割を演じている自分に気がつきました。

この自分の行為を振り返ってみると、やっぱり何かに役立とう、とか義務感などで動いているわけではありません。

シンプルに

「こことここつなぐとなんか、面白いこと起きそう」

って思ってつなぐわけです。

それで喜んでもらえたり、本当に何か新しい価値が生まれたりすると、自分にとっても嬉しいわけです。

むしろ、自分が嬉しいからやっているに近いなあ、という感覚すら持ちます。

もともと、僕自身は複数の転職経験者でもあるため、いろいろな組織に所属した経験があり、活動領域も会社員に閉じた領域ではありません。

自然に所属コミュニティという意味でのネットワークは広いのですが、最近それぞれのネットワークで頑張っている友人たちがどんどん責任ある立場になり、成果を残しているのを感じます。

一時は焦りもあったこの現象も、見方を変えればこのネットワーク自体が自分の価値。

それを必要としている人に開示するという行動も意義があるように思えるようになったのです。

そんでもって、そういう「おせっかい」な行為が意外に嫌ではない自分に気がついたわけです。

引きあわせる双方にメリットがあるのであればやらない手はないですよね。

これからも、「やめてくれ」と言われない限りこの活動、進めて行きたいと思います。

皆さんは「つなげる活動」されてますか?

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自分の成長を確認するイベント 〜あすか会議に参加してきました〜

 こんにちは。

年に一度のチェックポイント

実はこの週末、福岡市で開催された母校のビジネスカンファレンス(あすか会議)に出席してきました。

昨年につづき、フルアテンドは2回目です。その前にも1度参加をしていますので都合3回目です。

ここでは何が行われるかというと、テーマを設けて各界で活躍する人を招きパネルディスカッションが展開されます。

ダボス会議を参考に作ったもので、当日は在校生、卒業生が対象となっています。今年はなんと1100人(!)の参加者でした。

今回は地元福岡市の高島市長やJR九州の会長はじめ、ビジネスからアカデミック、政治、宗教、芸術、エンターテイメントなど各界で活躍する人が登壇者に名を連ねます。

順次以下のサイトで録画が公開されると思います。これはオススメです。

スロットは8つあり、そのうちの4つが自分の興味に合わせて複数から選べるものになっています。

今年は「成熟産業のビジネスチャンス」「伝統を守り、革新に挑む」「シェアとクラウド」「キュアリアの変節点」を選びました。それ以外にも全体会として「VUCAの時代」「テクノベート」といった最先端のテーマを扱ったパネルにも参加しました。

それ以外にも、自分自身が登壇者となって実施するラウンドテーブルの実施も依頼されたので登壇者・参加者両面で参加しています。今回は「職場のメンタルマネジメント」をテーマにしました。

3つの学び

前回までの参加でも思ったことですが、今回も改めて大きく3つのTake Awayがありました。(細かな学びは大量にあったのですが、だいぶ抽象化して3つです。)

①最新の情報をインプットする活動は重要

これって、あたりまえのことですよね。でも日々の仕事や雑用に追われてできてないことが多いです。加えて、自分に圧倒的な情報の選択権がある読書やネットからのインプットでは、どうしても興味のエリアに偏りができます。

自分の興味に近いところか、自分の周りのコミュニティからしか入手できません。当然程度問題ではあるものの、やはりそれなりの権威がキュレーション機能を働かせて選んだ情報に触れることは新しい刺激になります。

今回も今の自分の問題意識やチャレンジにダイレクトに有効になる情報をインプットできました。

今後のアクションのイメージもかなり具体化してきたのを明確に感じました。具体的に実践してカタチにして行きたいとおもいます。

あすか会議そのものに関しては、グロービス関係者に閉じたカンファレンスではありますが、このような普段とは異なる外部の勉強会への参加は、視野を狭めないためにはビジネスパーソンには必須なんじゃないか、って思います。

②自分の成長のチェックポイント(成長してたな)

この年になって成長かよ、と言うなかれ(笑)。人間いくつになっても進化しないと!

同じビジネスカンファレンスに継続して出席していると、自分の視野・視点の変化、経験の結晶化がチェックできます。

この部分は成長しているな、とかこの部分は”高齢化”しているから改めて巻かないといかんな、とか。

昨年はこうだったな、という振り返りとともにこの1年で自分にあったことをふまえて多角的にチェックすることができました。

これは、実は同じ週の水、木、金の3日間で東京国際フォーラムで実施されたイベント日経ヒューマンキャピタルでのパネルディスカッションに登壇したときも感じました。

昨年も同じように登壇したのですが、似たような景色を眺めながら、お話しする内容の主張ポイントや伝え方などは昨年と比べるとかなりの進歩をしているな、と強く認識しました。おそらく今回のあすか会議の他の登壇者も連続参加されている人は感じられるのではないでしょうか。

このような定期的なイベントに連続参加するというのは、自分の成長のチェックポイントとして大変有効です。そのような場を作ることをお薦めします。

③他の参加メンバーからの刺激

もともと、同窓の人たちの集まりだからということもありますが、久しぶりに会うメンバーの成長ぶりを確認することは何よりの刺激です。

中にはメディアを通して活躍が伝わってくるようなメンバーさえ出始めていますが、それでも本人と直接会って、活躍を讃える機会ほど前向きな刺激はありません。

そして逆に自分が誰かにとってそういう存在でありたいと改めて思わせてくれる機会でもあります。

自分がメンターと思っている方との語らいも楽しみな機会でした。

 

体力も時間もお金もかなりかけましたが、文字通り明日への活力になると感じたイベントでした。

最後になりましたが運営に携わった皆様に心より感謝です。

これを読まれているみなさんにも、このような場がそれぞれあるのではないでしょうか?

 

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2017の目標 半期の振り返り

こんにちは。

2017年上半期も最後の週末となりました。

恒例になりました、今年の目標の半期の振り返りをしたいと思います。

2017年半期 道半ば

目標は大きくワークとライフの2つ。

それぞれ、ワークはIBMと個人事業の2つに分けて設定し、ライフについても家族と個人の2つに分けて決めています。

加えて、裏では100の細かい「やりたいことリスト」という目標も決めています。

 

eitarokono.hatenablog.com

 基本的には、大目標を振り返りたいと思います。

1) ワーク(所属会社)

まず、ワークの方では年間ターゲットの達成とブランド構築でした。

数字の方は明かせない状況ではあります。まだまだチャレンジは続きます。

また、Watson Talentのブランド構築については、Watsonのブランドが確固たるものがあることもあり、相当進んでいるとおもいます。

Watson Summitや各種インタビュー、ラジオ出演などIBMの仕事の延長として様々な活動を進めることができました。

とはいえ、18ヶ月前に加入して以来、クライアントにとっての選択肢で思い浮かぶ相手先の3本の指に入るということを目標にしていますが、まだまだそこまでに至っている分けではないので、引き続きこちらでも努力を進めて参ります。

2)ワーク(個人事業)

今年に入って特に、複業推進に関する動きが加速してきていて、いままで隠れてやっていた人がカミングアウトする事例などから始まっています。この流れは止められないので、各社対応が必要ですね。

さて、僕の方は、3月に約4年ぶりにオリジナルの新刊を出版することができました。

この『現代語訳 学問のすすめ

現代語訳 学問のすすめ

は僕の中では込めた思いや、かけた時間・労力はこれまでにないものでした。

おかげさまで「学問のすすめって、こういう本だったんだ」という反応とともに、好評を頂いております。

継続的に販促活動を続けて行きたいと思います。

年始に掲げた「2冊のオリジナル新刊とコンテンツの有効活用」という目標についても、もう1冊の別のオリジナル新刊の進捗状況から見ても、コンテンツの有効活用企画の進捗状況から見てもおかげさまで達成見込みです。

ご期待ください。

グロービス講師も4月に復帰して以降年内はフルで継続予定です。

また、追加で掲げた「新しい領域への第一歩」という目標も計画実行中です。

これを希求する活動の中で得たあたらしいネットワークは本当に貴重だと感じています。すでに「新しい領域」に踏み込んでいるとも言えます。

3) ライフ(個人)

こちらは、水泳大会に2回出場するという目標でしたが、上半期ではゼロでした。まずは9月に出場し、12月になんとか達成という流れに持って行きたいと思っています。

その他インプット系の目標(小説10冊、小説以外20冊、映画20本など)を立てましたが、ビハインド気味ですので、後半に追いつくべく着々と進めていきたいと思います。

4)ライフ(家族)

3月に転居をし、娘が受験を経て中学に上がるという大きなイベントを経験しました。

これに加えて上記の「ワーク」関連もろもろが重なったため、年が明けて以降、本当に慌ただしい日々が続いたな、と感じます。

ぎっくり腰に始まり、体調的にやばいな、という時が何度かありました。ギリギリでやっていた感じは否めないので、40を超えたカラダなりの詰め込み方で知恵を使って行動するようにしたいと思います。

その他の目標である家族で月に一度出かけるという目標も期間をならすと達成していますが、立てた目標が低かったのかな、とも思います。

あと、週末の家ご飯を増やすという目標はBeforeの数値をとっていないこともあり「増えたような気がする」という結果です。比較するなら比較対象がある目標を立てなければ行けなかったです。(今更ながらに反省)

5)目標を立てたことをわすれない

このおまけ目標って実は重要です。今回振り返ってみたときに、さすがに大目標はざっくり覚えていましたが、100の細かい目標は普段認識できていなかったな、と改めて思いました。

実は小説10冊読む、という目標なんかも忘れてました。

年末はゆっくり細かく振り返ってみないと。

「4」の「ライフ(家族)」の目標でも触れた通り、上半期はイベント目白押しでした。

大規模イベントそのものは少ない下半期に、挽回して行きたいと思います。

みなさんの上半期はどんな半年間だったでしょうか? 

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