2017の目標 半期の振り返り

こんにちは。

2017年上半期も最後の週末となりました。

恒例になりました、今年の目標の半期の振り返りをしたいと思います。

2017年半期 道半ば

目標は大きくワークとライフの2つ。

それぞれ、ワークはIBMと個人事業の2つに分けて設定し、ライフについても家族と個人の2つに分けて決めています。

加えて、裏では100の細かい「やりたいことリスト」という目標も決めています。

 

eitarokono.hatenablog.com

 基本的には、大目標を振り返りたいと思います。

1) ワーク(所属会社)

まず、ワークの方では年間ターゲットの達成とブランド構築でした。

数字の方は明かせない状況ではあります。まだまだチャレンジは続きます。

また、Watson Talentのブランド構築については、Watsonのブランドが確固たるものがあることもあり、相当進んでいるとおもいます。

Watson Summitや各種インタビュー、ラジオ出演などIBMの仕事の延長として様々な活動を進めることができました。

とはいえ、18ヶ月前に加入して以来、クライアントにとっての選択肢で思い浮かぶ相手先の3本の指に入るということを目標にしていますが、まだまだそこまでに至っている分けではないので、引き続きこちらでも努力を進めて参ります。

2)ワーク(個人事業)

今年に入って特に、複業推進に関する動きが加速してきていて、いままで隠れてやっていた人がカミングアウトする事例などから始まっています。この流れは止められないので、各社対応が必要ですね。

さて、僕の方は、3月に約4年ぶりにオリジナルの新刊を出版することができました。

この『現代語訳 学問のすすめ

現代語訳 学問のすすめ

は僕の中では込めた思いや、かけた時間・労力はこれまでにないものでした。

おかげさまで「学問のすすめって、こういう本だったんだ」という反応とともに、好評を頂いております。

継続的に販促活動を続けて行きたいと思います。

年始に掲げた「2冊のオリジナル新刊とコンテンツの有効活用」という目標についても、もう1冊の別のオリジナル新刊の進捗状況から見ても、コンテンツの有効活用企画の進捗状況から見てもおかげさまで達成見込みです。

ご期待ください。

グロービス講師も4月に復帰して以降年内はフルで継続予定です。

また、追加で掲げた「新しい領域への第一歩」という目標も計画実行中です。

これを希求する活動の中で得たあたらしいネットワークは本当に貴重だと感じています。すでに「新しい領域」に踏み込んでいるとも言えます。

3) ライフ(個人)

こちらは、水泳大会に2回出場するという目標でしたが、上半期ではゼロでした。まずは9月に出場し、12月になんとか達成という流れに持って行きたいと思っています。

その他インプット系の目標(小説10冊、小説以外20冊、映画20本など)を立てましたが、ビハインド気味ですので、後半に追いつくべく着々と進めていきたいと思います。

4)ライフ(家族)

3月に転居をし、娘が受験を経て中学に上がるという大きなイベントを経験しました。

これに加えて上記の「ワーク」関連もろもろが重なったため、年が明けて以降、本当に慌ただしい日々が続いたな、と感じます。

ぎっくり腰に始まり、体調的にやばいな、という時が何度かありました。ギリギリでやっていた感じは否めないので、40を超えたカラダなりの詰め込み方で知恵を使って行動するようにしたいと思います。

その他の目標である家族で月に一度出かけるという目標も期間をならすと達成していますが、立てた目標が低かったのかな、とも思います。

あと、週末の家ご飯を増やすという目標はBeforeの数値をとっていないこともあり「増えたような気がする」という結果です。比較するなら比較対象がある目標を立てなければ行けなかったです。(今更ながらに反省)

5)目標を立てたことをわすれない

このおまけ目標って実は重要です。今回振り返ってみたときに、さすがに大目標はざっくり覚えていましたが、100の細かい目標は普段認識できていなかったな、と改めて思いました。

実は小説10冊読む、という目標なんかも忘れてました。

年末はゆっくり細かく振り返ってみないと。

「4」の「ライフ(家族)」の目標でも触れた通り、上半期はイベント目白押しでした。

大規模イベントそのものは少ない下半期に、挽回して行きたいと思います。

みなさんの上半期はどんな半年間だったでしょうか? 

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太古の人類にiPhoneの良さを伝える方法

こんにちは。

もし仮に、原始人の方々にiPhoneの使い方をお伝えするにはどうしたらいいのだろうか?と考えてみました。

なんでそんなつまらないことをしたのかというと、他意はなく、ちょっとした妄想ゲームです。

結論は、やっぱり電話やインターネットがたどってきた歴史を噛み砕いてお伝えすることが最適なんだろうな、というものでした。

原始人の方々にiPhoneの良さを伝えるには

まず、原始人の皆さんは衣食住のうち、やはり食の優先度が高いのではないかと思います。それも文化としての「食」というよりは、栄養摂取・生命維持のための摂食です。

だから、iPhoneを見て最初にきかれることは、

「何それ、食えんの?」

でしょうね。そこで、

「ごめん、これ自体は食べられない。でも、Amazon行けばこれ使って食べ物をGETできるよ」

と言うと、おそらく原始人の皆さんは、

「うそだろ、こんな小さいもので?」

と、いいながら、密林の中でiPhoneを振りかざしてマンモスに襲いかかっている自分を想像していることでしょう。そして、

「だめ。言ってることよくわからない。出直してこい」

「オレ、これまでちゃんと意思で作ったオノでマンモス倒してきたもん。それでいいじゃん」

と言われるか、

「じゃあ、デモしてみて」

と、iPhone持たされて、サーベルタイガーと一対一で対峙させられるかもしれません。

要するにいくら最新鋭の文明の利器であっても、前提知識も共通言語もない相手に説明しても、受け入れてもらえないということですね。

何事も理解してもらうにはステップが必要

ここで、現代人の立場で、やりがちだけどやってはいけないこととしては、

「こいつら分かってない。ダメだ」

「これだから原始人は...」

などとあきらめたり、他責にしてしまうことです。

経験がない原始人の方には、文明の利器の価値はいきなりは分からないのです。

これは原始人の皆さんのせいではありません。多くは悪気があって理解しないわけではないのです。

そういうときは分かっている側が、伝え方に工夫をする必要があるのです。

そこで、まずやるべきなのは「糸電話」を作ることなのではないかと思うのです。

話している人同士が離れていても、音声が伝わり、まるで近くにいるように大きな音で聞こえるという技術があるのだ、ということを知らせるのです。

「おー、なるほど。これが声を伝える道具ね。キミすごいねー」

と、原始人の皆さんにも分かって頂けることでしょう。ちょっと信頼を得ることもできました。ここで細かい技術や音の伝達の仕組みを解説しすぎないこともポイントですね。混乱させてしまうかもしれません。

そうなったらしめたもの。次のステップは、黒電話でしょうか。

宛先を番号で指定すると、特定の電話に呼び出しがかかり、お話ができるような技術があるのです。

「あらまあ、隣村までヤックルに乗っていかなくても、用事が伝えられるのか」

と意義を理解してもらえることでしょう。

その次に「無線電話」や「テレビ」「パソコン」の考え方をお伝えし、続いて「インターネット」や「アプリケーション」の概念を分かりやすく伝えるのでしょう。

そして、最後にそれらが全て揃って手元で動かせる「スマホ」「iPhone」というものがあるのだ、ということを丁寧にお話しすると

「なるほど。この小さいやつは、マンモスに投げつけても殺せないけど、うまく使えばそれ以上の利点があるのか」

と理解してもらえるはずです。

もちろん、相手が「分かりたいと思っている」という前提だけは必要ですけどね。

物事を前に進めるって、こういうことかもしれません。

理想を持てば「原始人」に必ず遭遇する

もちろん、

「自分にはそこまで丁寧にやっている時間はない。ちゃんと自分で学習して、スマホiPhoneの意義くらい分かっている人と一緒に過ごしたい」

という思いの方が優先順位として高い場合は、自分の居場所を他に求めるか、自分自身がそういう場を造り上げることになるのでしょうね。

こう考える人がいてもいいと思いますし、ある意味感情的には当然だろうな、と思う側面はあります。

それは一人ひとりの選択になるのだと僕は思います。

ただ、少なからず新しいことをやろうとか、高い志をかかげ実現しようという思いがある場合は、自分の組織内か、顧客内か、社会の中か、のレベルは違えど、自分にとっての「原始人」に遭遇することは間違いないわけですから、何処かで「原始人説得」の労はとらないといけないことになるのだろうと思います。

みなさんは、どう思いますか?

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認識の仕方の多様性を踏まえたコミュニケーションを。

こんにちは。

人の認知特性には色々あります

先日、自分の体験を踏まえ、学習の仕方にも人それぞれの違いがあることについてコメントしたところ、添付の本をご紹介いただきました。

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

医師のつくった「頭のよさ」テスト 認知特性から見た6つのパターン (光文社新書)

  • 作者: 本田真美
  • 出版社/メーカー: 光文社
  • 発売日: 2012/06/15
  • メディア: 新書
 

『「頭のよさ」テスト』という、現役の医師の方が書かれた物です。

人間の認知に関わる特性を大きく視覚優位、聴覚優位、言語優位の3分野をそれぞれ2つに分けて、合計6分類に分けた考え方を紹介しています。

  1. 視覚優位:カメラアングル
  2. 視覚優位:三次元映像
  3. 言語優位:言語映像
  4. 言語優位:言語抽象
  5. 聴覚優位:聴覚言語
  6. 聴覚優位:聴覚&音

だそうです。

それぞれ、個人個人で得意不得意があって、それをうまく使うとキャリア(人生)を過ごす上で得意分野を活かせるようになり、そうではないと本人の特性と求められるものとのギャップに苦しむようになる、ということだと理解しました。

例えば、1, 2,の視覚優位者は、映像を軸に物事を認識することが得意で、人の顔を覚えたりするのが得意だそうです。デザイナーや映像ディレクターが多いとも。3, 4, の言語優位は文字を覚えたり認識することに長けていて、アナウンサーや弁護士、教師といった職業に就く人が多いようです。5, 6,の聴覚優位者は、音感が強いということで音楽家などに多く、言葉を覚えるのも音から入る傾向があるようです。

僕が受け止めた、この書籍のポイントは、極端な例も含めていくつか実例を並べて解説した上で「自分の得手不得手を認識すると同時に、他者の得手不得手もよく理解して、お互いの得意分野をうまく活用して参りましょう」というものでした。

もっと言えば「自分の認識の仕方が絶対である、と思ってはいけない。その考えを前面に押し出しすぎると、力の強弱がある関係の場合などは相手を潰してしまいかねない」というものでした。

比較的上意下達文化のある組織の中で上司の役割を担っている人は、部下との関係で部下を潰さないように配慮するべきでしょう。またフラットな文化の組織にいる場合は、自分の認識タイプを相手に押し付けすぎると逆に上司の人が部下からの求心力を失うことになります。

また、子育て中の人などは、特に自分とは違うタイプのお子さんを持った場合、配慮が必要なのだろうな、とも思います。

僕自身は「視覚優位タイプ」

この本の冒頭には、タイプ分けを意識したチェックシートがついていてそれを受けてみてから読むとより当事者意識が持てます。
僕は、明確に視覚優位という特徴が出ました。

レーダーチャートの16−25のエリアが標準スコアで、26以上が出ると驚嘆にその傾向が強いそうです。

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これは僕自身思い当たる節があります。

確かに人の顔は覚えるのが得意です。しかし名前などは厳しいものがあります。思い出すのにかなりの時間が必要ですので、打ち合わせ前などには一度思い出して頭の前の方に出しておく必要があります。
また、特に顕著に現れるのが、ソフトウェア・アプリケーションがバージョンアップした時です。プルダウンメニューやアイコンの位置なども、見た目の位置で覚えているため、バージョンが変わると何がどこにあったかが全くわからなくなります。
「ファイル」の下の概念だから、とか「編集」をするのだから、当然編集に分類されている、という意味づけで覚ればいいのでしょうし、多くの人がそうしているのは知っています。しかし未だ意識してもなかなかうまくいかないのです。

この手のことって、できる人には全く理解できないものです。

世の中に、これができない人が存在することすら信じられないため、できない人が、できる人に対して「ごめんなさい、覚えられないのです」と言っても、「そんなはずはないだろう!」「ふざけるのもいい加減にしろ」という反応を受けて悪者にされたりします。

僕自身も今から思うと、責める側になったこともありますし、責められる側になることも未だにあります。

認知特性の違いを意識したコミュニケーションを

この「認知の仕方の違い」が存在することだけでも理解すれば、職場や学校、家庭での諍いの多くの部分は解決するのではないかと思いました。

言うは易しですけどね。

加えて言えば、多少の差であれば努力して対応策を考え出し実行することも可能だと思っています。

僕も若い頃から日々、そのように工夫してきました。

ですので、認識力の特徴を根拠にして、全てを「才能論」で片付けることについては個人としては反対です。才能をより伸ばすことや、苦手を努力で克服すると言った未来志向の態度で当たるべきで、最初から自分で諦めたり、人を切り捨てたりすることはやるべきことではない、と思うのです。

皆さんはどう思いますか?

 

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意思の疎通が成立するとき 〜「無知の知」を自覚できるか〜

こんにちは。

なぜ、意思の疎通が成立するのか

所属会社の仕事を通じて、また、教壇に立って社会人学習のサポートをする活動を通じて時々思うことがあります。

「なんで、初対面だったり全然異なるバックグランドなのにここまで話が通じるのだろうか」とか、「この人、専門外のはずなのに僕のことを一生懸命理解してくれようとしているなあ」などと感じることがあります。

そういう時って、コラボレーションがすごくうまくいくものです。

なぜコラボレーションがうまく行くのだろうか、と考えてみました。

要するに相手の姿勢が肯定的・前向きであれば、その雰囲気に後押しされて、こちら側はもっと相手に貢献しようとますますサービスをしますし、その結果相手もそれに答えてさらに背中を押してくれるため、良循環構造が出来上がるのでしょう。

この構造ができあがると、より高い目的を達成できたり、同じレベルの目的なら構造がないときより短時間・低労力で到達できるわけです。

これは人口減少下の日本で優先課題とされている働き方改革、そのポイントとなる働き方の効率化には追い風の状態を作り出しているという見方もできます。

意思の疎通がリスクにさらされるとき

逆に、意思の疎通がうまく行かない時とはどういう状態でしょうか。

共通言語、いわゆるプロトコルがお互いの間で存在しない時が典型です。経営のことを話そうとしているのに、一方が経営を学んだことが無い場合とか、ITプロジェクトなのに、一方がITのことが分からない場合などです。

僕個人に当てはめてみれば、経営の場合は前者側(学んだ経験がある側)になりますし、ITの場合は後者側(学んだ経験が無い側)になります。

後者側として、すなわち意思の疎通に足る十分な知識を持ち合わせてない者として気をつけるべきだと思っていることがあります。

すなわち、相手の言うことがレベルが高すぎてわからない時の態度として…

いちばん望まれるのが

  • 必死で学んで意思の疎通ができるだけの前提知識をつけること

です。

しかしながら、それだけの時間・労力をかけて身につけるだけの余地がない場合は、次に望まれるレベルとしては

  • その場で理解しようと、教えを請う姿勢であること

が必要になります。

まかり間違っても、自分が理解できないからと言って、「そんなモノは必要ない」などと足下に否定したり相手の足を引っ張って、自分のレベルまで引き摺り下ろしたりしてはなりません。

無知の知を自覚できるか

よくちまたで耳にするのは、「英語なんてしゃべれても、意味が無い。要は中身だ」とか「MBAなんて頭でっかちで、実務では役に立たない」という原始人的発言です。

こんなことをすると、物事を進めるスピードが遅くなったり、全く進歩しなかったり、本来世の中の役に立つべき優れた人が、やる気を無くしたりして、悪くすると社会全体が退化することになりかねません。

これは社会をあげて取り組んでいる課題に対して貢献できないどころか問題を助長する行為になります。

すなわち知識・知恵がない、または、無いなりにそれを受け止めないというのは本人がチャンスを逃すだけではなく社会的にマイナスになるのです。

 ソクラテスが言うように、自分は「知らないのだ」ということを自覚して、より高みを目指すことで、無意識に「無知の罪」を犯してしまうことを避けなければならないと思うのです。

みなさんはどう思いますか?

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IBM在宅勤務関連報道に公式見解? 〜本来の目的は従業員エンゲージメントの向上〜

 こんにちは。

職住近接型在宅勤務

日本国内の一連の"IBM在宅勤務廃止"報道に対して、日本IBMの広報から裏を取ったというニュースが流れてきました。

cloud.watch.impress.co.jp

内容を見ると、偶然ですが先日の僕の「個人の見解」コメントと同じ内容でした。

ということでこの件は一旦終息ですね。

eitarokono.hatenablog.com

何のための在宅勤務?

ところで、やっぱり気になるのが、何のために在宅勤務を推進するのか?日本においてはどんな意義があるのか?という点ですね。

社員が働きやすい環境を整備することで企業のパフォーマンスを上げることなのは間違いありません。

今までは、残念ながら退職したり、休職したりしていた社員がフルタイムのままで働き続けられることを会社が認め、その人たちの会社でのパフォーマンス(やる気と能力)を引き出すことが目的です。

これを「従業員エンゲージメント」と言います。

ビジネス界が2000年代に「従業員満足度」で痛い目にあったあと、出てきた考え方です。

単に従業員が満足しているのではなく、会社の方針に対して同意し業績貢献にモチベーションを感じているかどうか、ということがエンゲージメントのポイントです。

日本の「エンゲージメント」が低い理由

で、この「従業員エンゲージメント」が日本ではどういう状況かというとつい先日も以下の報道がされたように、どの調査をとっても日本の組織は「従業員エンゲージメント」の度合いが低いのです。IBMの提供するエンゲージメント調査でも日本は最下位です。

www.nikkei.com

エンゲージメントが高い組織は①業績が高く、②コンプライアンス問題も起きにくく、③離職率も低い、という調査があります。

つまり日本の組織に置いて、このエンゲージメントの数値が高くすれば①、②が上がる可能性がある、と解釈できます。

しかし、ここで疑問が残りますよね。③の離職率がそれほど高くない組織が日本ではほとんどなのです。

これは何故なのでしょうか?

僕の仮説は、こうです。

「日本の組織には、本来なら辞めてもいいほどエンゲージメントレベルの低い従業員が、雇用慣習にながされて、在籍し続けている」

要するに「イヤなのに、何故か会社にいる」従業員がたっくさんいるわけです。社内失業というやつですね。

外を見れば、もしくは自分で作れば、もっともっと、その人の能力が発揮される環境があるかもしれないのにね。

なので、僕の考える解決策はシンプルに言えば、雇用の流動化です。

「イヤな組織」にそのままいるのではなく自分が活き活きと働けるような場所を見つけるか作るかすれば良いんですよね。

そのためには、起業のし易さの向上、社会人学習の推進や複業の推進による新たな能力の獲得や雇用機会の提供、言い方を変えると推進のために立ちはだかる障壁の撤廃が必要だと思います。

スタートは僕らの意識改革

まずは、僕たちの意識の方から変えないといけないですよね。

こういうことを言うと「日本的雇用慣行にはそれなりの良さがある。安易な欧米の真似事ではいけない」と言われます。結構な規模の会社、中でもエクセレントな会社の経営層の方でもこう言うことがあります。

もちろん、僕はその場では「ですよねー」と言います。一見正しそうなこの理由に対しては反論しないことにしてるんです。議論の出口が見えないから。

「だって、エンゲージメントが低いじゃん」と言っても、返ってくる言葉は「エンゲージメントの結果が間違っているのだ」だったりします。対応策は「もっと高くつけるように社員に周知しろ」だったりします。

まずは、各自が行動をおこしてみるのでしょうね。

「日本的雇用慣行にはそれなりの良さがある。欧米の真似事ではいけない」というやらない理由を言われる前に...

みなさんはどう思われますか?

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この国の「在宅勤務」と、かの国の"Remote Work"はちょっと違う

こんにちは。

Wall Street Journalの記事

先日Wall Street Journalに添付のような記事が発表されました。在宅勤務に関する米国IBMの判断の衝撃を伝える内容です。

僕自身は会食の席での話題で友人から教えてもらいました。

jp.wsj.com

なんか、ブログのアクセス件数の動きがいつもと違うなあ、と思ってはいたのですがどうやらこれが原因でした。

元記事はNews Picksでも掲載され、またHARESの西村さんにもピックされていたのですが、当ブログの以下の記事を引用いただいていたのも要因のようです。

NewsPicks - 西村 創一朗

eitarokono.hatenablog.com

もともとは北米のマーケティング部門で実施されていたものでしたが、今回の記事はその対象となる部門が広がったことを報じています。

さらに今回は報道担当者のコメントが付いているところが前回とは異なります。実際に影響を受ける社員にとっては、大きなインパクトなのだろうということもわかります。

報道を受けての(あくまでも個人の)見解

社員でありつつも、当ブログでは会社を代表していない僕の立場から、報道を通じての「感想」は2点ほどです。

①Sell What We Used

自社での先進的実験を通じて得たノウハウをクライアント企業に対して提案してきたIBMです。社員としては、会社も何か始めるのだろうか、という感じの見方をしています。Globally Integrated Enterpriseの実験やDiversityの実験などが行われたときのように、近い将来メッセージを社会に向けて出して行くのだと思っています。ご期待ください。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

②「在宅勤務」の示すもの

さらに、ここも大きなポイントなのですが、この記事でいう「在宅勤務」の原語である"Remote Work"というのは、日本で現在働き方改革の一環として導入が推進されている「在宅勤務」というものとは大きく異なります。

日本は「在宅でも」勤務できるように、という意図でそれを推進する制度や、組織文化の醸成を推進している状況です。

米国ではこの段階は数十年前に済んでいて、いまや「在宅でしか」勤務しないものを「在宅勤務=Remote Work」と言っています。

ですので、日本で言えば「福岡在住・在勤、札幌オフィス所属」とか「沖縄在住・在勤、東京オフィス所属」のように全然距離が離れたところに住んで、オフィスには決して行かない、呼び出されたら交通費と出張手当を請求する、というような立場の人が数千人いる状況なわけです。

これを再び「同一オフィス在勤・所属」に戻そう、ということなのです。とは言え「在宅でも」勤務できる程度の制度は残るはずです。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

在宅勤務はやっぱり推進すべき

 ここで一番お伝えしたいと思うことは...

在宅勤務は何のために推進するのか、というところに立ち戻って考えてみると、実際に会って仕事をすすめるよりも効率的になるから、という理由ではありません。

在宅勤務を推進しないと、働けなくなる人がいるからです。いわゆる「働き方弱者」の人は、介護や育児を抱えていたりして従来型の、朝から晩まで会社に物理的にいなければいけない、という働き方ができません。

しかし、そういう人にも働きたいという意思があり、組織や社会に貢献できる能力があります。なかなか人が取れない現代においては社会としてはそういう人たちに活躍してもらわなければなりません。

そして、それが制度と意識を少し変えて、ITの力を活用すれば実現できるのです。

その方向性に対してIBMは逆行しているわけではありません。ただ、行き過ぎた”Remote Work”を少し引き戻しているというだけなのです。(あくまでも「個人の意見」ですよ)

以上、あくまでも「個人の意見」でした。

みなさんは、どう思われますか?

 

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一世代前の謎に近づく 〜誰かの一世代前としての自覚〜