競泳は個人競技か 〜松田丈志・久世由美子「自超力」より〜

こんにちは。

二週連続で当ブログは、本を読んで学んだことを報告します。

スーパーアスリートの本!

今回は競泳元日本代表の松田丈志さんと、そのコーチを28年にわたり二人三脚でつとめられた久世由美子さんの共著「自超力」です。

出版社が最初の著作を出版くださったディスカヴァー21だということ、僕自身が30年以上泳ぎ続けていること、それもあってアスリートのノウハウはビジネスに活かせると信じている者であるということに加えて、光栄なことに、松田さんご本人から紹介をいただいたこともあり(僕が自分の本をご紹介したことが切っ掛けですが)早速拝読しました。

共著というカタチを取っていて、松田さんと久世さんが交互にご自身の経験にもとづく考えを記述する形式でした。

読みながら、気になった箇所に印を付けていくのが僕の読み方なのですが、読み終わって改めて印を付けた場所を振り返ってみると、幾つか特徴があるのに気がつきました。

やるかやらないか。できるできないではない。

まず、1つ目。

これは取り入れたい、とおもったことの大半が「だれでも、やろうと思えばできること」だったことです。

4大会オリンピック出場、通算4つのオリンピックメダルって普通の成果ではありません。だからよっぽど特殊なことばかりをやられてきたのかもしれない、という印象があるのですが(もちろん、トレーニングの質や量などの負荷は特別だったでしょうが)そればかりではないのです。

例えば、お二人は毎日練習振り返りのノートを残しておられたということです。(なんと250冊とか!)これ、毎日できるかどうかは別として、ノートに書き記すことそのものは、その気になれば誰でもできることです。

文字化することで改めて整理されたり、後々振り返ったりすることは改善を加えたり、自分の成長を確認したりする上で大変重要です。仕事をした日は毎日つけてもいいですし、週に一度と決めてやってみるのもいいでしょう。

他にも、久世コーチがライアン・ロクテという米国のオリンピック金メダリストに合同練習を申し込むときの逸話も、同じです。遠慮してしまいがちな状況ではありますがロクテのコーチに直談判に行かれて、OKを取ってきたわけですが、結果的にこれも理屈上は「やるか、やらないか」だけであって、特別な才能や長時間にわたるトレーニングがないとできない行動ではなものです。

とはいえ、この2つの出来事は結果的に松田さんの戦績に大きな好影響を及ぼしているわけです。

これ、ビジネスの世界にもピッタリ当てはまりますよね。

会議で決まったことを誤解の内容に改めて確認する、とかアクションは必ず実施したかどうかを確認する、ということは全く才能や努力は必要ありません。やるか、やらないかだけです。

ただ、実際にちゃんとやっている人が少ないということもまた事実ですけどね。

競泳は個人競技ではありますが...

もう1つの特徴が、印を付けた箇所の8割以上が「チームに関すること」だったことです。

あれ、競泳って個人種目じゃなかったっけ?

特に競泳ってタイムを競うものであって、誰かに採点してもらうものではありません。

スタートした後は、自分のコースは自分だけしか泳いでいないため意図的に目を向けない限り対戦相手も見えません。水の中にいるから音もあまり聞こえないため対戦相手の声はおろか応援の声だって聞こえないことが大半です。すなわち究極の個人競技なのです。

そんな競技のアスリートにかかわらず、アテネの選手村伝言板での北島選手に対するチームからの応援メッセージのエピソードとか、「周りから応援される人であれ」とか「チームの融和が全体のレベルアップに繋がる」とか、故郷や親しい人たちとのつながりといった内容に言及されていました。

(で、それにことごとく印をつけた僕がいました。)

よく考えてみると自分の最近の仕事を振り返ってみても、自分でどんどんアイデアが出てくることもあり、それなりにやることがあって回りきらないことがほとんどです。

そういうときって得てして、自己嫌悪に陥ったり、自暴自棄やひとりよがりになったりしそうなものですが、そういうときに周りにチームがあることを思い出すようにしています。

一緒に同じ目標に向かっているメンバーがいると思うと1人ではないことを具体的に自覚できますし「できないかもしれない!」とあせっていたことが「できるかもしれない」に変わることが感じられるものです。

そもそも、会社での仕事は個人競技どころか、会社そのものが”Company(仲間)”というくらいチームでの活動を前提としているのですからね。

 

本作は、常人をこえたスーパーアスリートのノウハウをかたった本ではありますが、随所に一般のビジネスパーソンが日々悩むことに対するヒントが満載の本だと思うのですが、みなさんはどう思われるでしょうか。

一度手に取ってみる価値があると思います。

夢を喜びに変える 自超力

トヨタの自工程完結 ー 働き方改革のヒント満載

こんにちは。

トヨタ自動車の仕事の秘密

トヨタ自動車といえば、品質にこだわり続けることで有名な組織です。(現在Leaders2というドラマもやっていますね)特にその品質を生み出す製造方式は世界中での評価が高いですよね。

最近あるきっかけで、長らくトヨタ自動車の品質管理領域を担当されていた元副社長の佐々木眞一さんの『トヨタの自工程完結』という書籍を手に取りました。

タイトルではわかりにくいかもしれませんが、本ブログのテーマである「ホワイトカラーの仕事の効率化」を取り扱った本です。

トヨタでは製造を「現場」と呼ぶため「現場からオフィスまで」というタイトルになっていますが、オフィスワークが「現場」である組織も多いことだと思います。

この本では、トヨタの製造現場で培った高品質かつ高効率なら働き方を本社スタッフ部門に展開した(しつつある)取り組みを綴っています。

イノベーションとは必ずしも飛び道具というわけではない

僕は日頃からイノベーションは、必ずしも飛び道具からしか生まれる訳ではなく、日々のちょっとした工夫や改善を積み重ね、それを完遂することでも生まれ得ると思っています。特に働き方に関してはこれが当てはまります。

この本でも、同じことを説いているように思えるのです。

ただし、ちょっとした工夫や改善だけならその必要性を認識している人は世の中ごまんといます。

トヨタという組織の違うところは、その工夫を着実に実行してそれを組織のDNAと呼べるレベルにまで昇華しているところです。 

誰でも出来そうな簡単なことを、唱えるだけではなく実行しそれを継続し、さらにそれだけでもなくこれを徹底するというところに希少性があります。

通常の組織では「はいはい、そのとおりですね」とか「そんなの分かってる」となりそうなものですが、やるべきことは徹底的にやってみることにこだわっていることが文面から感じ取れるのです。

非常に共感をもったので、知り合いを通じて「お会いしたい!」と意思表明したところです。お会いしてお話できるといいなあ...

働き方改革の本質は効率的な働き方そのもの

 「働き方改革」を標榜する組織の、すべてのリーダーに是非手に取ってみてほしいと思います。

合わせて次の拙著たちも読んで頂ければ、さらに多面的に働き方改革の打ち手が見えるようになると思います。

99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ

99%の人がしていないたった1%の仕事のコツ

99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツ

99%の人がしていない たった1%のリーダーのコツ

現代語訳 学問のすすめ

現代語訳 学問のすすめ

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全打席フルスイングからの卒業(まだしてないけど。。。)

こんにちは。

アタマは体力の衰えを認めたがらない

今、いろいろなことが面白すぎてやりたいことが多すぎる状況です。

ただ、いかんせん一日は24時間です。そんでもって”体力”というやつは年ごとに落ちていくものです。わるいことに、僕の経験上体力の衰えをアタマ(というか気持ち)はあまり肯定したがりません。

初めて体力の衰え、というものを痛感したのが、30歳をちょっと過ぎた頃に出場した水泳の大会でした。

200メートルの競技に出場したときに、前半の100メートルを現役時代と同タイムで入ったのです。このまま行けるだろうと。しかし残念ながら後半の100メートルは想定よりも10秒以上落ちました。

その時に「これからは、体力ではなく知恵を使おう」と心に誓いました。

しかしその数ヶ月後、今度は知恵をつかおう、ということで25メートルの競技に出ました。残念ながら心に誓ったと考えていたことが「誓ったつもり」だったことが判明したのです。

午前中だけで25メートルを3競技出場し、翌日から肩が上がらなくなりました。よく考えたら全力で疾泳する短距離の方が体に与える負荷はどうしても高くなるモノです。。。結果、医師の診断は「だいぶ早めの、四十肩ですね」。

それで一年以上泳げませんでした。

やっぱりアタマでは理解したつもりでも気持ちは昔の残像を引きずっている。。。

やっぱり今でも全打席フルスイング...

そして、干支も一回りした今。

仕事も生活もやりたいコトがありすぎて依頼があれば当然前に進む。無くても自分で企画する。という状況がつづいています。

いわゆる四半期末になり、新刊も発売になり、引っ越しを強行し、娘の受験に卒業式、会いたい人もいっぱい、見たい映画や読みたい本も満載、その他相次ぐ週末のイベントもかさなり、。。。引っ越し当日の今週末はさすがにノドが少し痛くなりちょっと風邪気味っぽくなりました。

「やっぱ、詰め込み過ぎかなー」と自覚しつつ、まだあまり懲りていない自分にも冷静に気付いています。

今度こそ!

とはいえ、とはいえ。。。人様に迷惑をかけるようなことになってはいけません。ですので、やはり自重する必要はあるとは考えており、実行に移したいと今回は真剣に思いました。

同じように呑みに行っても意図的に量を減らすとか極力金曜日にするとか、本当に立て込んでいる時はタクシーを使って移動時間や体力を温存したり移動時間を仕事にあてたりするとか、ちょっとしたことでも工夫を重ね、ますます効率化を図っていきたいと思います。

その成果はあらためてこの場や別の発信媒体で共有していけたらなあと思います。

みなさんは、そんなこと考えることありませんか?

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「学問のすすめ」は仕事術の本です。

こんにちは。

三作目の著作を出版しました

実は先週後半、オリジナルとしては三作目となる「現代語訳 学問のすすめ」を出版することができました。

現代語訳 学問のすすめ | 福沢 諭吉, 河野 英太郎 |本 | 通販 | Amazon

グロービス知見録でも紹介の場をいただき、背景や概要についてはここで簡単に述べさせてもらっています。

globis.jpこの週末書店を回ったり、読者の方々からの声をいただく中で複数いただいた反応があったので、ここでご紹介したいと思います。以下のような反応がありました。

①「なんで、これを書こうと思ったの?」という意見。

②なぜか、書店では「思想」「哲学」「日本史」のカテゴリに陳列してあるという現象。

③「あの、これ武田鉄矢さんの著作に見えますけど」というコメント

なぜ僕が書くのか?

①については、要するに福澤諭吉研究者でも、慶應義塾の関係者でもない僕がなぜこれをかくのか?という疑問ということです。

これについては、上記グロービス知見録の中でも述べましたが、この「学問のすすめ」は明治初期に書かれ、一説では300万部市場に出回ったと言われています。当時日本の人口が3000万人だったということですので、10%の人が手に取ったということです。今で言えば1200万部程度。これはすごい数です。

その事実を知った時、非常に強い興味を持ちました。多くの人が手に取ったその理由を知りたかったのです。

実際に読んでみるとまさに日々の仕事に生きる具体的方法論や心構えが満載です。これはもっと多くの人に読んでもらうべきじゃないか、と直感的に思えたのです。

しかし原書の文体は、発刊当時は非常に平易な言葉遣いだったと言われていますが、今の言葉とはかなり異なる表現方法でした。いくつか出ている現代語訳も、SNSと比べるとかなり難易度の高い高尚な表現となっていました。

多くのビジネスパーソンは、労力を伴う読書はなるべく避けたいと思う気持ちがあることは同じ立場としてよく理解できます。

これをいかに平易に、面白く表現するかにチャレンジしてにたいと強く思ったわけです。そして、完成の暁には本来福澤諭吉が目指した読者層である初学生(今で言えば中学・高校生でしょうか)が読んでいる姿を見て見たい、とも思うようになったのです。

あとは、自分がキャリアをかけて実現したいと思っている「ホワイトカラーの働き方改革」に大きく資する仕事になるという確信があったことも一つの原因です。

仕事術の本なのです!

②については、なんか複雑な気分です。もと文学部の人間としては、自分の著作が憧れの「思想」「哲学」「日本の歴史」などのコーナーに並ぶということはなんか誇らしいです。しかし原著者の意図に反しているのは明らかです。そして何よりも多くの人の目に触れやすいのはどこの書店でも最も読者の目に触れやすい位置にあるのがビジネス書コーナーです。そこに置いてもらえるようにプロモーション活動に励んでいきたいと思います。

ちなみ、17個ある各編の副題は以下のようにつけました。いかにも仕事術の本ですよね。

初 編 学んだ人から出世する
二 編 個人と組織は対等
三 編 全員が当事者意識を持つチームは強い
四 編 まずは自分から変わりなさい
五 編 一人ひとりが「独立心」を持つ
六 編 ルールを守る
七 編 全員がメンバーでありリーダー
八 編 他人を尊重し自分も自由になる
九 編 お金のためだけに働かない
十 編 現状に満足しない
十一編 無意味な上下関係はいらない
十二編 学んだら行動に移す
十三編 人の自由を奪わない
十四編 失敗を生かす
十五編 疑問を持つ
十六編 他人の価値観に惑わされない
十七編 自分ブランドをつくれ

武田鉄矢さん、ありがとうございます

③これはご愛嬌。幕末明治維新と言えば、思い浮かぶのは武田鉄矢さん。推薦コメントをお願いしたところ、二つ返事で受けていただけました。

感謝するばかりです。

もともとアツい想いで始めた仕事ですが、時間の制約があり、古文の専門家というわけではないため、かなり時間がかかりました。「なかなか誰もやらない仕事だよな」と考えつつ「サラリーマンである自分こそがやらなきゃいけない仕事だよな」という思いを支えになんとか上梓にこぎつけました。

ご支援いただきましたみなさま、本当にありがとうございました。

写真はこの数年常に傍にあり続けた底本の「学問のすゝめ」の岩波文庫です。

僕の訳した「学問のすすめ」を読んだ後に、一度是非岩波文庫にも当たって見ていただければと思います。個人的な裏ミッションとして岩波文庫版がたくさん売れることも目標に入れています。実際に福澤諭吉が書いた文体に触れていただくこともそれはそれで意義のあることだと思うのです。

皆さんはどんな感想を持つでしょうか。

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「夜中のメールをやめましょう」は”働き方改革”支援か。

こんにちは。

夜中のメールのプレッシャー

子供がまだ小さいころ、まだ「働き方改革」という言葉がクローズアップされない時代、こんなことを言われたことがありました。

「河野さんのメールは深夜早朝、休日が多くて気持ち悪い」

なるほど。。。

ポイントとしては僕が時間外に仕事のメールを発信することで、受け取る側にとっては、深夜早朝や休日に仕事を強いられるようでプレッシャーになる、もうちょっとまともな時間にメールをしてほしい、ということでしょう。

ちょっと反省しました。そんな時間働きたくないのは誰でも同じ。なんとか工夫しないとな。

とはいえ、メールを書き溜めておいて朝9時になったら発信する、というのも不自然だし、”定時内”に送ろう、と先送りしたら忘れそうだし…

結論は出ないまま、そして改善もしないまま今に至っています。

”働き方弱者”の論理…

そこで、ふと「なんで深夜早朝、休日に仕事のメールをしなければならないか」を考えてみました。

結論としては、そうせざるを得ないのです。。。

子育て世代にとっては、朝の7時から9時くらいまでと、夕方からよる10時前くらいまでが、いわゆる「戦争状態」で、一切仕事が手につきません。

朝の7時過ぎから、「起きろー!」「歯みがけー!」「着替えろー!」と叫び、学校に送り出したと思ってほっとしたら、食卓の上に連絡帳が残っているのを見つけてスーツに素足でサンダルを引っ掛けて走って追いかけたり。。。

夜は夜で、寝かしつけてもなかなか寝てくれず、添い寝をしてそのまま寝落ちしたり。。。

本来は朝8時から夕方6時まで、といったマトモな時間に働けばいいのですが、そうはいかないのが実態です。

結局仕事ができるのが、朝子供が起きる前か、夜寝た後になってしまうわけです。

平日に十分時間を当てられないため、週末も同じような時間になってしまうこともざらではありません。

となると、働き方改革を推し進めようとする前向きな気持ちから生まれた「深夜のメールはやめましょう」という意見は、実は、介護や育児などを抱える”働き方弱者”にとっては首を絞めることになりかねない”強者の論理”なのじゃないかな、と思ってしまったわけです。

この「深夜のメールをやめましょう」という呼びかけは、もともとは良心から出ている働きかけなので、こういう場で発信すればカドがたたずに気付いてもらえるんだろうな、という期待も込めて書いてみました。

とはいえ…

でも、さらにさらに、もっと引いて考えると、根本的には時間外に仕事をしなければならない状況があること自体を変えればいいのですよね。

そこを解決しようとしているのが「働き方改革」の本来目指す姿で、よく言われるように仕事を「効率化」することが必要なのです。

「効率化」については書き始めると終わりませんので、またの機会に譲ります。

みなさんはどう思いますか?

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逆境体験の意義って? 〜経験の「結晶化」とは〜

こんにちは。

スキーのベテランインストラクターの言葉

あるベテランのスキーインストラクターから、”教えやすい”クラスの特徴を聞きました。
その人は中学の修学旅行や研修旅行に来たツアー客を中心に教えることが多い人だったのですが、スキー初心者向けのスクールを長く担当されてた人です。
曰く、
①いわゆる受験を経た経験のある生徒
②スキー以外のスポーツを一定以上やったことのある生徒
が共通して教えやすい、ということでした。

①については、やはりインストラクターの話をよく聴く点と、それを素直にやってみる点だそうです。
②については、同じように言われたことはまず試してみる点は共通でした。加えて体幹がしっかりしていることが多く、競技上のポイントが何かを理解するのが早いということでした。
特に②の層については、多くの場合、スキー合宿が終わる頃にはスキーだけの経験者を超えるほどのレベルまで上達し、放っておいてもどんどん上手くなる、ということでした。

なるほどー。

仕事における過去の”経験”

でもこれって、仕事にも通じるものってないでしょうか。
もうすこし具体的に言うと、分野は違えど何かに一生懸命やって、ある程度極めたという経験がある人と、そうでない人の違いに似ているな、と。

一生懸命やってある程度極めた経験というのは、単なる経験年数の長さはもちろん、よく苦労話で言われる”単なる”辛い経験で得られた質を軽く凌駕するな、と思う瞬間って多いのです。

得てして、何かに秀でた人を見て「あの人は天才だから」とか「もともと高い能力があるから」と言って片付けてしまったりする人いますよね。ひどい時には「あの人にはでき ない人や弱い人の気持ちはわからない」といって逆に何か悪いことでもしているかのように扱ったりして何も学ぼうとしない姿勢の人すらいます。

これって、正しい姿勢ではないですよね。

なぜその人は、新しいチャレンジにも能力を発揮するのか、早い段階で追いつくのか。これを考えてみることが未来志向の姿勢だと思います。

なんででしょうね?

僕が考えるに、これは単に大変なことをやるとか厳しい環境に耐える、ということそのものには全く意味はなく、どんなことでも何かを極める過程で各種の課題を解決したり、人とのやりとりを学んだりという汎用性の高いテクニックを得る機会になると言うことでしょう。

そもそも何かを一生懸命やる、というのは目標をもって何かに取り組むという期間を経る経験を持つことそのものです。

これが、かつてリーダーシップ育成に「逆境経験」を求める企業があったり、体育会のリーダーや高業績者を優先的に新卒採用してきたことにつながっていたのではないかと思います。(表面だけの運用が多かったため逆効果の例も多発しましたが。)

実は、最近、もと軍隊経験者の外国人の同僚と接点をもつ機会が複数回あったのですが、やはり軍隊の経験はリーダーシップやチームワーク、敵へのアプローチなどの観点からビジネスに大いに役に立っているということを言っていました。それを感情論、根性論ではなく論理だって説明してくれました。

自分自身のキャリアをより目指すべき方向に向かわせるためには、今の仕事に真摯に取り組み、ほんの少しの経験であっても別の場面でも応用可能な”能力”へと”結晶化(Crystalize: 具体化)”するということの繰り返しがとても効果的であるという良い例だと感じました。

この”結晶化”のために必要なことは、同じ仕事をするにしてもすこしだけ視点をかえてやってみるだけでいいと思うのです。

過去の経験を”結晶化”させる

例えばこんなことってないでしょうか。
・日々の仕事を与えられるままに漫然とやっている
・誰か or 何かに対して不満をもったままやりつづけている
・仕事をこなすことのため、とか四半期のインセンティブのため、という近視眼になっている
・チームのなかで「いい人でありたい」とか「嫌われないこと」が優先順位の高い位置を占める
・自分にはXXがない、でもあの人は⚪︎⚪︎があるから自分には不利だ、などと考えている
などなど。

こいうのって、明らかに自分の経験という貴重な宝物を、作り出した途端にゴミ箱に捨てている典型です。
宝物は、せっかくだから結晶化して、再利用可能なかたちで持っておきましょう。

置いて置くスペースは自分の頭か心の中ですから容量制限はありません。

結晶化の作業ってそんなに難しいことではありません。

「あの時はうまくいった」「とかあの経験は大変だった」だけで終わらず、「なんでうまくいったんだろうか?」「次に活かすには、どのポイントが有効だろうか」とか「人に伝えるとしたら、どの部分が皆さんにとって意味があるだろうか」という視点で振り返ってみるだけでいいのです。

文字通り、そんなに難しいことでも、とんでもない努力や才能が必要なことでもありませんよね。

その割には重要なことだったりしますので、やらない手はないはずです。

皆さんはどう思いますか?

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一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む

こんにちは。

福澤諭吉著「学問のすゝめ」を読んでいたところ、

『一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む』

ということわざに遭遇しました。

一杯、人、酒を呑み、三杯、酒、人を呑む

酒に強い人には分からないかもしれませんが、僕のように強くないけど飲むことが好きなタイプにとっては、よーく分かる言葉です。

要するに一杯目は人が酒をコントロールしているけれども、誘惑に駆られて二杯、三杯と行くと逆に人が酒にコントロールされてしまうという意味です。

僕の家系は酒飲みが多く、心から酒を楽しむ人が周りに多かったのですが、残念ながらその才能は僕には遺伝しませんでした。

でも、お酒自体は好きなので、つい二杯、三杯といってしまいます。そうすると食べ過ぎてしまったり、翌日まで残っていたりして仕事のパフォーマンスに影響することがよくあります。

ですので、特に平日はその二日酔いを翌日まで引きずることは、プロとして失格だと思うので極力アルコールは自分がコントロールできる範囲に押さえるようにしています。

過ぎたるは及ばざるがごとしとも言います。少量であれば人間関係を円滑にしたり、ストレスを解消したり、食事をおいしく頂けるお酒ですが、物事には限度があり、身の程をわきまえていないと路頭に迷う、ということでしょう。

身の程を知り、コントロールする

社会人ともなれば自分の向き不向き、限度は理解しているはずです。にもかかわらず誘惑に勝てずについその限度を超えてしまうこと、よくあると思います。

何もお酒に限らず、消費とか夜更かしといったより身近なこともおなじことです。ついつい買い込みすぎてしまったり、娯楽を優先して寝不足のまま仕事に向かったり。

もちろん、お金を有り余るほど持っていたり、体質的に全く寝なくてもいい人であれば、問題ありません。

でもそうでない人は、よくよく自分の限度をわきまえて日々気をつけるようにするべきだと思います。

なんてことを自分への戒めも兼ね、考えた週末でした。

みなさんはどう思いますか?

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