こんにちは。
"THINK"と『学問のすゝめ』
僕自身が意図せず、結果的に大きく影響を受けることになった二人の賢人の間に、共通点を見いだしたことがあったので、少し書いてみたいと思いました。
T.J.Watsonと福澤諭吉です。
最近はWatsonというと、別のものをさすことが増えましたが。
そのCognitive Computing を推進するWatsonを”Watson”と呼ぶ理由は、ご存知の人も多いと思いますが、今のIBMの基礎を作った人がThomas Watsonであり、中興の祖と言われるのがその息子であるThomas Watson Jr. だからです。
IBMの中で、”THINK”という言葉は行動原則のような扱いをうけており、社屋のあちこちや、製品名の一部につかわれています。
その由来になったのが以下のThomas Watson Sr.のコメントです。
www-03.ibm.comここで、
"And we must study through reading, listening, discussing, observing and thinking. We must not neglect any one of those ways of study. "
「文章を『読み』、『話を聞き』、『議論し』、『観察し』、『考える』ことを通じて学ばなければならない。このうちのどれ1つとして欠かしてはならない」
と言っています。
その中でもThink(考えること)を怠るのが多くの問題の原因だ、と続けたため"THINK"がクローズアップされることになりました。
あるとき、かの福澤諭吉の名著「学問のすゝめ」(岩波文庫)を読んでいて次のような文面にあたりました。
「即ち、視察、推究、読書はもって智見を集め、談話はもって智見を交易し、著書演説はもって智見を散ずるの術なり」
『観察し』、『考え』、『読み』、『議論し』、『文書を書き』、『プレゼンテーション』をすることで初めて学問というものであり、当時の「学び」の主流であった和漢の古文書を読むだけの活動は本来の学問ではない、というのが福澤諭吉の主張です。
かなり共通していると思いませんか?
地球のほぼ反対側で活躍し、年齢差は約40歳。ほぼ間違いなく、全く接点はなかった人物ですが、大事を成した人は共通の結論に至るものなのだろうな、と思いました。
賢人の言葉を日頃の行動に
で、翻って我々の日頃の仕事を振り返ってみると、一連の「学ぶ」プロセスのうち、一部しかできていないことって多いと思います。
- 情報収集して文書化しているけど、本当に考えているか
- 資料は必死になって作っているけど、説明することに準備も含めて時間を十分割いているか
- 自分の中だけで完結し、人から意見を貰ったり、自分の見える範囲を超えて情報を出したり、取りにいったりしているか
そんな振り返りのヒントになります。
福澤諭吉も「実用に堪えてこそ学問なのである」というスタンスを取っています。明日からまた改めて行動を見直したいものです。
皆さんはどう思われますか。